香川綾(かがわ あや) 和歌山県田辺市本宮町出身
香川綾のレリーフ(国立科学博物館の展示) Photo by Momotarou2012 [CC BY-SA 3.0]
日本栄養学の母
香川綾(1899年3月28日 - 1997年4月2日)は、和歌山県本宮村(現・和歌山県田辺市本宮町本宮)生まれの医学博士。日本の現代栄養学の基礎を築いた日本栄養学の母。
香川綾は、医学部での女性差別が今よりはるかに大きく、女医がほとんどいない時代に医者になろうと志しました。東京女子医学専門学校に入学し、医学を学び、卒業後は東京帝国大学医学部の内科に勤務するも雑役係のような役回りしか与えられず、しかも無給でした。
この時期、香川綾はビタミンに関する研究を行っていました。明治以降、白米が食事の大部分を占め、おかずが少ない食事のスタイルが全国的に広まった日本ではビタミンB1の不足からなる脚気が蔓延するようになりました。
香川綾は、胚芽米にビタミンB1が多く含まれること、白米に精米するとビタミンB1がほとんど失われてしまうことを突き止めました。そして脚気予防に胚芽米を普及させることを提唱しました。また胚芽を残して精米する方法も香川綾は発明しました。胚芽米の普及は香川綾の功績です。
妊娠を機に医療の現場から退くことになり、その後、病気を予防する学問として栄養学を研究し、その普及につとめました。「管理栄養士」の資格創設にも関与。
1949年「本邦食品のビタミンB1と脚気の研究」によって東京大学より医学博士の学位を受ける。同年香川栄養学園設立。1950年、女子栄養短大創立。1961年、女子栄養大学を創設し、学長に就任。1965年、同大学に栄養学部を創設し、管理栄養士資格の創設に貢献。1969年、大学院栄養学研究科修士課程を設置。
(香川綾 - Wikipediaより)
香川綾が考案したもの
香川綾が考案したものを、いま私たちは使っています。計量カップや計量スプーン。
香川は家庭料理で使われる調味料の量を研究し、15cc、10cc、5ccの3種類のスプーンを用意しておけば家庭内でも調味料の使用量が判りやすいことを発見した(計量スプーン)。また同時に、200ccのカップの内側に50cc毎のメモリをつけた計量カップも考案した。実際には、明治時代に日本初の料理学校を開設した赤堀峰吉が同様のものを既に考案していたとの記録もあるが、香川は独自に考案したものであり、また、一般家庭に計量スプーン・計量カップが普及することになったのも香川の活動によるものである。
(香川綾 - Wikipediaより)
今ではテレビの料理番組や料理本、料理レシピサイトなどで調味料の分量を大さじ1、小さじ1、カップ2分の1などと指示しており、それに従えばを誰もが同じような味つけをすることができますが、これも、香川綾の研究のおかげです。
香川綾が栄養学を研究し普及させたのは、人々の病気を未然に防ぎたいと願ったから。熊野からこのような女性が現れたことを誇らしく思います。
(てつ)
2019.11.10 UP
2019.12.13 更新
参考文献