トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件の慰霊碑
1890年(明治23年)9月16日の夜、紀伊大島の樫野埼の東方海上で起きた、トルコ軍艦エルトゥールル号の遭難事件。
580名以上の犠牲者を出し、生存者は69名。
69名の生存者は紀伊大島の住民たちの献身的な救護により命を救われ、このことがトルコの人々が日本に親しみを抱くきっかけとなりました。
案内板より。
トルコ軍艦遭難慰霊碑
明治23年9月16日(1870年)、トルコ国皇帝特派使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が暴風雨のため、この慰霊碑眼下の海域に望む船甲羅岩礁で難破しました。島民は献身的な救助活動を繰り広げ69人を救助しましたが、580余名の乗組員の尊い命がうばわれました。そして、引き揚げられた遺体をこの丘に埋葬しました。
翌、明治24年に和歌山県知事をはじめ、有志の義金により墓碑と慰霊碑が建立され併せて追悼祭が行われました。この碑は昭和4年の昭和天皇の樫野埼行幸を聞いたトルコ共和国ムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領が新たに慰霊碑を建立することを決定、トルコ共和国の資金により昭和12年6月3日(1937年)に完成したものです。
エルトゥールル号の遭難事件を知るには、寮美千子さんの『エルトゥールル号の遭難 トルコと日本を結ぶ心の物語』がオススメです。
リンク
(てつ)
2014.5.8 UP
参考文献
- 寮美千子 文/礒良一 絵『エルトゥールル号の遭難 トルコと日本を結ぶ心の物語 』小学館
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駐車場:駐車スペースあり