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◆ 神島(かしま)  和歌山県田辺市新庄町3972  新庄村:紀伊続風土記(現代語訳)


熊楠たちが守った神の島

 神島は和歌山県田辺市の田辺湾に浮かぶ無人島。
 干潮時にはつながる2つの島からなり、大きい方を「おやま」、小さい方を「こやま」と呼びます。
 一番近い陸地は田辺市新庄町鳥ノ巣で、鳥ノ巣半島西岸から神島までの距離は500m足らず。

 神島
 鳥ノ巣から臨む神島

 南方熊楠が保護運動に努めたことで知られ、1929年(昭和4年)6月1日には昭和天皇が訪れ、1930年(昭和5年)に和歌山県の天然記念物に、1936年(昭和10年)に国の天然記念物に指定されました。

 神島は全島が照葉樹林に覆われ、古来、神の島として信仰され、人の手がほとんど入らない自然の森が残る島として維持されてきましたが、1909年(明治42年)7月に大潟神社に合祀され、まず「こやま」の森が伐採され、あやうく全島伐採されるところを熊楠らが保護運動を行い、伐採をストップさせました。

 神島
 鳥ノ巣から臨む神島

 以下、南方熊楠の「南方二書松村任三宛ての明治44年(1911年)8月29日・31日付け書簡)」より(私の口語訳)。

 神島のことを柳田氏を経て尊慮を煩わせましたが、これは村長が比較的に物のわかった人で、ついに小生の意に従い、下木を300円で売ってあったうち、700貫目はすでに切っているため、その代価を引き去り、余分を見積もり、入札人へ返却することと4、5日前村会で決議。

ワンジュは年にただ今5升しかとれず、さて古来の習慣で京都の数珠屋へ売る。201顆を数珠1連として30銭の卸売である。これは今日物価が高いのに、いかにも不当に安い価なので、買わねば買ってもらわずともかまわないとの決心で、まず1連90銭くらいで売ることに致させ、そのうちまた横浜の外人らへ売先を得られることと致します。

巡礼などがこの豆を持てば旅中、蛇やマムシにかまれないといって買いに来て、役場で売るのだ。(英国の北部にも Virgin Mary's Nut と称し、熱地から流れよるシトップを数珠の親玉とし、巫蠱 wiches 邪視 evil eye を避ける風習があるとのこと。)ただ今、花が盛んに開いており、小生は右の村長と近日写真を撮りに行くので、よくできたら1葉差し上げましょう。
 (「南方二書」口語訳8

※ ※ ※

たとえば今度ご心配をかけた当田辺湾の神島(かしま)のごときも、千古斧を入れていない神林で、湾内へ魚が入って来るのは主としてこの森があるからである。これはすでに大きな財産ではないでしょうか。

それなのに合祀励行のため、村役場員などはなるべく不精を構え、また利益を私にしようと心がけ、なるべく村役場に近い社は、たとえ由緒のない狐や天狗を祀っている小祠であるとも、これを村社と指定し、由緒があり神林が多い社も、村役場に遠いのを挙げて合祀させ、これを濫伐した後の弊害は、筆舌に尽きません。

 神島のワンジュは、島の一部にだけ生じ、どうしても他へ生じない。ブラジル辺で見るような festoon を形成し、図のように(※図は本で見てください。『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫) 404頁※)蜿蜒(※えんえん:ヘビなどがうねり行くさま。また、うねうねと長く続くさま※)し、大きなものは幹10インチ以上ある。外国では、耳輪、腕輪などにこのような sea-beans を用いることがおびただしいので、このものを今少し多く繁殖させたならば、なかなかの営利ともなるべきものである。

それなのに、合祀のためにただ今濫伐されようとし、たとえ濫伐しなくとも、神祠はすでに取り去ったので人はこれをはばからず、種々に枯れ木を取り去るので、かのカレキス・マツムラエのようなのは、4年前に小生が見出したときは14,5坪の間に瀰漫していたが、今春末に牧野富太郎氏の依頼に応じて行ってみたときはわずかに12株しかなかった。故に1株につき幾分ずつ、その株に傷のつかないようにかき取り、牧野氏へ送ったのだ。この島には元来キセルガイの種類が多かったが、合祀とともに全く絶え果てた。

ついでながら申す。この島は千古、人が蛇神を恐れて住まなかった所である。自生のセンダンの木があり、また海潮のかかる所に生ずる塩生の苔 scale-moss がある。奇態な島である。 (「南方二書」口語訳11

 

 以下、岩田準一宛ての昭和6年(1931年)8月20日付け書簡より(私の口語訳)。

 それから、あんまり長居すると顔に似合わない情深い人と別嬪から乞食女まで押しかけて来るから、よい加減に3日めの夕に切り上げ、自動車で45分走って田辺の自宅へ帰る。さて妹尾で橇車ですべり下ったとき、固く橇のふちをつかんだため手に凍傷を生じ、癩病のように紫斑を生じ痛み悩むうち、2月初めに、宮城内生物学研究所主任服部広太郎が来られて、6月に御行幸があるから拝謁進講がなるかとのことで、重ねて4月24日に電信があり、よって御受け申し上げる。20年来辛苦し保存した神島で拝謁、夕刻御召艦長門へ召され、大臣、将官ら20方ほど侍坐の席で、陛下の御前に席を賜り進講いたします。 (「浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他」口語訳15

※ ※ ※

 それから神島へ渡るが、当日船が揺れて何の考えも思いつかず、何を進講してよいかお先真っ暗であったが、島で拝謁、進献品について奏上、次に御召艦で、進講も幸いに標本をそれこれ見計らい持参したから、次へ次へと標本の出るのに任せて奏上して退くまで、例の鼻をすすったりして咳のひとつも出さず、足の一歩も動かさずに事が済んだのは、まったくラ・ダム・ド・メ・パンセー(わが思いの貴婦)の一念が届いたものと限りなく殊勝に感じた。

後で聞くと、家にいて無事を念ずるよりはその近辺へ出かけて声援否念援しようといって、姉妹2人は長途馳せ来て、御召艦出立まで立ち続けていて、いよいよ煙が立ち波が湧き出すのを見て帰宅の途に就いたとのことである。 (「浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他」口語訳16

※ ※ ※

 神島という島に御臨幸、小生が拝謁した地点に諸友の出資で600円ほどで大阪の名工に彫らせた碑、高さ1丈3尺ほどのを建てました。

     昭和天皇臨幸之聖蹟
  一枝も心してふけ沖津風
  わが大君のめでましし森ぞ

     昭和五年六月一日      南方熊楠謹詠并書

 右の拙詠は佐々木信綱先生に見ていただいた。
  吹く風も心してふけここはしもわが大君の……
と直されたが、小生は、それは歌の稽古のためには謹んで拝受し、秘跡へは件の拙詠を筆しました(※実際に碑に彫られたのは字が少し違って「一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇のめでましし森ぞ」※)

拙筆ゆえ右に申す川島草堂に字割を6時間もかかって施してもらい、それから一筆に書き成しました。いつもと違って天皇のご威光によってまずは無難に出来上がり申した。
 (「浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他」口語訳20

 

 神島の神は、田辺市秋津の竜神山(りゅうぜんさん)の神と同体であるといわれ、神島沖に現れた竜神が立ち上り竜神山に鎮まったと伝えられます。詳しくは「熊野権現秘事の巻:熊野の説話」で。

 田辺の大庄屋文書『万代記』の慶安2年(1649年)の記事には「か嶋明神の宮と申、海内に雑木の森山御座候」とあり、文政5年(1822年)9月26日の記事には「神島の古木持ち伝え候もの御座なく候。右の嶋、社木ゆえ村内の者共あい恐れ、先年より伐り申さず候」と記されているそうです。

 南部(みなべ)沖には鹿島(かしま)という島があり、田辺の神島と南部沖の鹿島、2つの「かしま」が近辺にあるのは、昔、大人(おおびと)が2つの島を天秤棒で担いでいて、天神崎で荷を降ろしたので同じような島が2つできたのだとの伝説もあります。

 現在、島内は立ち入り禁止で、上陸する場合は田辺市教育委員会の許可が必要。

 昭和天皇の行幸を記念した南方熊楠の歌碑は「おやま」の砂浜に建てられています。

 神島にもっとも近い陸地である鳥ノ巣半島西岸に約1.5kmにわたって走る鳥ノ巣半島の泥岩岩脈も国指定の天然記念物。

 神島
 鳥ノ巣から臨む神島

 ◆ 参考文献

松居竜五・岩崎仁=編『南方熊楠の森』方丈堂出版
中沢新一 責任編集・解題『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』河出文庫
中沢新一 責任編集・解題『南方熊楠コレクション〈第3巻〉浄のセクソロジー』河出文庫

 

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アクセス:JR紀伊田辺駅から明光バス「白浜温泉行き」で約15分、内の浦バス停下車、徒歩約15分で鳥ノ巣泥岩岩脈へ。
駐車場:駐車場なし
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2010.6.27 UP

 

 

 

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