巨岩を御神体とする子安の神社
三重県紀宝町神内(こうのうち)にある神内神社は、社殿のない、岩壁をご神体とする神社。かつての熊野の自然崇拝の有り様を現在に伝えている神社のひとつです。
明治に神社合祀が行われる以前の熊野では、社殿がなく岩や老樹大木を祀っている神社も珍しくはなかったのですが、現在では合祀のためにそのほとんどが失われてしまいました。
鳥居近くにある案内板。
三重県指定天然記念物 昭和16年12月2日指定 神内神社樹叢(こうのうちじんじゃじゅそう)
神内神社樹叢(子安神社)(こうのうちじんじゃ・こやすじんじゃ)
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鳥居近くにあるホルトノキ。石を巻いて抱え込んでいます。
この石は鎌倉時代に参道の両脇に並べられた石のひとつで、数百年が経ち、木が大きくなって、このように石を抱え込みました。
神武天皇御社と佐倉宗吾宮
佐倉宗吾は江戸時代前期の人。佐倉藩領、公津村(現在の千葉県成田市台方)の名主。藩主堀田氏による苛政に苦しむ百姓のために1653年(承応2年)上野寛永寺に参詣する将軍徳川家綱に直訴。その結果、藩主の苛政は収められたが、佐倉宗吾夫妻は磔となり、男子も死罪となった。
佐倉宗吾の物語は歌舞伎や講談などでも語られ、義民として知られるようになり、ここ神内神社では百姓の神として祭られるようになりました。
別名、子安神社
川から上がってくる石段。川の水で足下を濡らして禊としたのでしょうか。
別名、子安神社。安産の神様として知られます。
社務所には、たくさんの「よだれかけ」がかけられています。
『古座川町史 民俗編』には以下のような記述がありました。
お産の神としては、三重県南牟婁郡紀宝町神内の神内神社にお参りする人々が多く、地元の子安地蔵に安産祈願することもしばしば行われた。……神内神社に行きつくまでに女性に出会うと女の子が、男性に出会うと男の子が産まれるという。
(『古座川町史 民俗編』255頁)
和歌山県古座川町と三重県紀宝町はだいぶ離れている印象があるのですが、お参りに行っているのですね~。
岩壁をご神体とする無社殿神社
背後の岩をご神体として祭っています。
クスノキの巨木。
巨岩の前で、安産と子供の成長を祈ります。
(てつ)
2009.4.28 UP
2014.5.8 更新
参考文献
- 植島啓司 著・鈴木理策 写真『世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く』 集英社新書 ビジュアル版
- 『古座川町史 民俗編』
神内神社へ
アクセス:JR新宮駅からバスで20分、子安橋前下車、徒歩2分。
駐車場:無料駐車場あり