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那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)

 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8 那智山:紀伊続風土記(現代語訳)

観音霊場

那智山青岸渡寺

 神社と寺院が隣接して建つという、熊野三山中もっとも神仏習合時代の名残りを残している那智。
 熊野那智大社は古くは「那智山熊野権現」「那智権現」などと呼ばれていました。
 現在、熊野那智大社という神社と那智山青岸渡寺という寺院が軒を並べていますが、かつての那智は神社と仏寺とに分離できるようなものではありませんでした。神と仏は渾然一体とし、区別できませんでした。

 那智山青岸渡寺は古くは如意輪堂と呼ばれ、那智権現は最盛期には7寺36坊を有し、熊野修験の一大本拠地となっていました。 

 しかし、明治の神仏分離令は、もともと一体であった神仏習合の霊地に、神か仏かのどちらか片方を選択するように命じました。本宮も新宮も神を選び、仏を捨て、寺院は取り壊されました。那智でも、神を選び、廃仏毀釈を行いました。いくつもの仏寺や坊舎が取り壊されました。那智権現は明治4年(1871)に「熊野那智神社」と称し、仏教・修験道を排した神社となりました。

 如意輪堂は、西国三十三所霊場の第一番札所でもあり、さすがに取り壊しはされませんでしたが、仏像仏具類は補陀洛山寺などに移され、空堂とされました。
 しかし、その後、山内の人々の願により明治7年(1874)、神社側から独立。「青岸渡寺」と名付け、天台宗の一寺として再興されました。

裸形上人の開基

 青岸渡寺(如意輪堂)の創建は、仏教伝来以前の仁徳天皇の御代(313~399)にインドから熊野に漂着した裸形上人(らぎょうしょうにん)が那智大滝にて滝修行中、滝壷から八寸(約24cm)の観音像を感得し、草堂をむすんでこれを安置したのが始まりと伝えられています。

 その後、7世紀頃に大和国から生仏という僧が来て、一丈(およそ3m)の如意輪観音の木像を彫り、裸形上人が得た観音像を胸に納めて本尊とし、正式に本堂が建立されたそうです。本尊を如意輪観音とすることから如意輪堂という名も付けられました。

西国三十三所霊場の第一番札所

 後に如意輪堂は、西国三十三所霊場の第一番札所となります。
 西国三十三所巡礼は、大和の長谷寺の徳道上人によって718年に始められ、その後、衰微し、花山法皇によって再興されたと伝えられています。那智での一千日の修行を終えた花山上皇は、西国三十三ケ所観音霊場巡礼の旅に出、各地で歌を詠んだ。それが御詠歌のはじまりで、那智山青岸渡寺(せいがんとじ)は三十三ケ所巡礼の第一番札所となったとも伝えられています。

 那智山青岸渡寺(如意輪堂)の御詠歌は、

補陀洛や岸うつ波は三熊野の那智のお山にひびく滝つせ

 青岸渡寺の現在の本堂は、織田信長の焼き討ちにあったのを豊臣秀吉(1536~11598)が1590年に再建した桃山様式の建築で、南紀最古の建築物です。重要文化財に指定されています。

那智の滝関連の熊野の説話

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古典に見る熊野那智参拝の模様

(てつ)

2009.9.9 UP
2013.7.21 更新

2021.4.17 更新

参考文献

那智山青岸渡寺へ

アクセス:JR紀伊勝浦駅から熊野交通バス神社お寺前駐車場行きで約30分、終点下車、徒歩10分。
 滝前バス停神社お寺前バス停で降りてもよいです。
 熊野古道大門坂を歩きたい方は大門坂駐車場前バス停で下車。
駐車場:有料駐車場あり(有料500円、場所により無料)
 土産屋さんなどの駐車場の他に、バスの終点に奥に広い駐車場もあります。

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