■ 熊野古道 九十九王子

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◆ 近露王子(ちかつゆおうじ)  和歌山県田辺市中辺路町近露  近露村:紀伊続風土記(現代語訳)


近露王子 熊野古道中辺路(なかへち)」。大坂本王子と比曾原王子の間、熊野詣の宿場として賑わった近露の里、日置川の畔に近露王子はあります。

 建仁元年(1201年)の藤原定家の『後鳥羽院熊野御幸記』には、10月14日の記事に、歌会が終わった後「すぐに〔この時、亥の時〕輿に乗り出発し、川を渡り、すぐ近露王子に参る。次にヒソ原、次に継桜、次に中の河、次にイハ神とのこと。」とあり、また承元4年(1210年)の藤原頼資の『修明門院熊野御幸記』には、5月1日の記事に「朝、御浴・御拝・御禊。終わって出御。王子(※近露王子※)に参御。次に檜曾原・継桜・中川など王子を例のごとく御参」とあります。

近露王子案内板 案内板より。

 永保元年(1081)十月、熊野に参詣した藤原為房は川水を浴びた後、「近湯」の湯屋に宿泊しています。王子社の初見は、藤原宗忠の日記、天仁二年(1109)十月二十四日条で、宗忠は川で禊をした後、「近津湯王子」に奉幣しています。このように、古くは「近湯」「近津湯」とありますが、承安四年(1174)に参詣した藤原経房の日記以降は、「近露」と書くようになります。建仁元年(1201)十月、後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家の日記によれば、滝尻についで、近露でも歌会が行なわれています。定家は、川を渡ってから、近露王子に参拝していますので、上皇の御所は右岸にあったようです。承元四年(1210)、修明門院に随行した藤原頼資の日記でも同様で、女院は四月二十九日に宿所に着いて「浴水・禊」をし、翌五月一日に王子社に参拝しています。このように、近露では宿泊することが多く、川水を浴びた後、王子に参拝するのが通例でした。江戸時代には、若一(にゃくいち)王子権現社と呼ばれ、木像の神体が安置されていたようです。明治時代には王子神社となりましたが、末期に金比羅神社(現、近野神社)に合祀されました。なお、跡地の碑の文字は、大本教主出口王仁三郎の筆によるものです。

近露王子 近露王子は、明治末期まで社殿もあり、少し下手にある春日神社とともに近露の氏神として祀られていましたが、神社合祀により十数本あった杉の巨木も伐られ、廃絶しました。

 南方熊楠は『神社合祀に関する意見』に次のように記しています。

合祀濫用のもっともはなはだしき一例は紀州西牟婁郡近野村で、この村には史書に明記せる古帝皇奉幣の古社六つあり(近露王子、野中王子比曽原王子中川王子、湯川王子、小広王子)。一村に至尊、ことにわが朝の英主と聞こえたる後鳥羽院の御史蹟六つまで存するは、恐悦に堪えざるべきはずなるに、二、三の村民、村吏ら、神林を伐りて営利せんがため、不都合にも平田内相すでに地方官を戒飭(かいちょく)し、五千円を積まずとも維持確実ならば合祀に及ばずと令したるはるか後に、いずれも維持困難なりと詐(いつわ)り、樹木も地価も皆無なる禿山頂へ、その地に何の由緒なき無格社金毘羅社というを突然造立し、村中の神社大小十二ことごとくこれに合祀し、合祀の日、神職、衆人と神体を玩弄してその評価をなすこと古道具に異ならず。この神職はもと負荷人足(にもちにんそく)の成上りで、一昨冬妻と口論し、妻首縊(くく)り死せる者なり。かくて神林伐採の許可を得たるが、その春日社趾には目通り一丈八尺以上の周囲ある古老杉三本あり。

 熊楠の怒りももっともなことです。

近露王子 境内には「近露王子之跡」と刻まれた碑がありますが、これは大本教主出口王仁三郎の筆跡。以下、説明板より。

王子碑の文字について

「近露王子之跡」と書かれた碑の文字は、記名がないけれども大本教主出口王仁三郎の筆跡である。昭和八年(1933)三月二十一日この地に来て休息した際、当時の近野村長横矢球男の依頼で用紙に筆をふるったのである。翌年一月それを彫りつけた王子碑が建立されたが、二年後の昭和十年十二月大本教は二回めのはげしい宗教弾圧をうけ、この碑も取り壊さねばならぬことになった。その時横矢は、この文字は筆跡を自分が模写したものであると主張し、保存していた王仁三郎の書を警察に提出した上で、碑面に見られた「王仁」の書名を削り、そこに「横矢球男謹書」と彫り改めて、王子碑の撤去をまぬがれたという。出口王仁三郎の筆跡の碑は全国に数多く建てられていたが、他はことごとく破壊され、辛うじて残ったのはここだけだとされている。

 境内には歌碑が二つ。

  • 峠路ゆ 見おろす村の わが里は 家ごとにして 梨の花さく  花仙
  • ふるさとは 山重畳と 日に映えて 麓をめぐる 川の瀬の唄  うて起書

字が読めない箇所があったのですが、久保さんという方からご教示いただきました。
・峠じゆ 見下ろす村のわが里は・・・・は杉中花仙さんの作です
・ふるさとは山重畳と日に映へて・・・は郷土の画家・野長瀬晩花さんの詠で昭和34年(70歳頃)は「雨滴」「宇天起」と号されていました。この短歌の碑では「うて起書」と書かれています。
とのことです。ありがとうございます。

日置川 近くを流れる日置川(ひきがわ)。鎌倉末期の仁和寺蔵の『熊野縁起』には、「近露の水は現世の不浄を祓う」とあり、また「近津の河の上なる面広石あり、彼の石上に礼殿金剛童子一万十万毎日三時御影向云々、しかれば彼の河の水を秘事とす」とあります。

 近露王子の近くには熊野古道なかへち美術館があります。妹島和世氏・西沢立衛氏共同設計による建物で、野長瀬晩花(のながせ ばんか)と渡瀬凌雲(わたせ りょううん)という地元ゆかりの2人の画家の作品を中心に展示しています。

 ◆ 参考文献

くまの文庫4『熊野中辺路 古道と王子社』熊野中辺路刊行会
本宮町史編さん委員会『本宮町史 文化財編・古代中世史料編』本宮町
西口勇『くまの九十九王子をゆく 第二部 中辺路・大辺路・小辺路編―田辺・高野から那智・新宮へ―』燃焼社
中沢新一 責任編集・解題『南方熊楠コレクションV 森の思想』河出文庫

 

アクセス:JR紀伊田辺駅から龍神バス熊野本宮方面行きで約1時間、近露王子バス停下車
駐車場:無料駐車場あり
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中辺路町企画かんこう課 Tel:0739-64-0500

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2009.6.3 UP
2012.9.23 更新

 

 

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