熊野の観光名所スマホ

大斎原

おおゆのはら
和歌山県田辺市本宮町本宮

PC

熊野本宮大社

ここが本当の熊野本宮

熊野本宮大社がもともとあった場所。大斎原(おおゆのはら)。
現在は2基の石祠が祀られているのみですが、とても気持ちのよい場所です。

本宮大社前のバス停からですと500mほど離れていますが、近年、旧社地近くに日本一の大鳥居(高さ33.9m、横42m)が建てられましたので、場所はすぐにわかると思います。歩いて5分ほどです。

明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原」と呼ばれる中洲にありました。

熊野川と音無川に挟まれ、さながら大河に浮かぶ小島のようであったといわれるかつての熊野本宮。熊野川は別名、尼連禅河といい、音無川は別名、密河といい、2つの川の間の中洲は新島ともいったそうです。

江戸時代まで音無川には橋が架けられず、参詣者は音無川を草鞋を濡らして徒渉しなければなりませんでした。これ を「濡藁沓(ぬれわらうつ)の入堂」といい、参詣者は音無川の流れに足を踏み入れ、冷たい水に身と心を清めてから本宮の神域に入りました。

阿弥陀の浄土

浄土信仰の隆盛とともに繁栄した熊野。

熊野本宮は阿弥陀如来の西方浄土と見なされ、生きながら阿弥陀の浄土に生まれ変わることを目指して、上皇や女院、貴族、武士、庶民達がはるばると、この大斎原まで旅してきました。

平安時代末の院政期、白河上皇9回、鳥羽上皇21回、後白河上皇34回。
鎌倉時代に入ってから御鳥羽上皇が28回。
頻繁に行われた熊野御幸も、熊野を浄土の地と信仰してのこと。

また、鎌倉時代、一世を風靡した浄土教系の新仏教「時衆」の開祖・一遍上人がある種の宗教的な覚醒をしたのもこの地でした。

「熊野御幸」の時代、そして「蟻の熊野詣」の時代、熊野の中心地、そして日本の宗教の中心地はここ大斎原だったのです。

明治の水害で流出

明治22年(1889年)8月の水害時まで大斎原には12の社殿やいくつかの境内摂末社、神楽殿や能舞台などがあり、現在の本宮大社の8倍の規模を誇っていました。

水害から2年後の明治24年(1891年)3月に流出を免れた上四社を現在ある高台に遷座。流出した中四社・下四社と境内摂末社は旧社地「大斎原」の2基の石祠に祀られています。右の石祠に中四社・下四社を祀り、左の石祠に元境内摂末社を祀っています。

詳しくはこちら(PC)


より大きな地図で 熊野の観光名所マップ を表示
より大きな地図で表示させると
ナビや経路検索ができて便利
和歌山県田辺市本宮町の観光名所