み熊野ねっと

 熊野の歴史や文化、観光名所、熊野古道の歩き方、おすすめの宿などをご紹介しています。

南紀熊野観光塾の「地域資源を知る」ツアーのための原稿(白浜)

 

熊野三所神社

2013年9月7日(土)から8日(日)にかけて行われた南紀熊野観光塾の「地域資源を知る」ツアーでガイドするために書いた文章の一部です。(初日の分の原稿はこちら
これも、現地でガイドする時間があまりなく、バスの中で話をしてくださいということだったので、ちょっと長めに話すつもりで用意しました。

 

熊野三所神社

 白良浜から見えるこんもりとした森が熊野三所神社の森です。
 飛鳥時代に斉明天皇や持統天皇、文武天皇が紀の湯(現在の白浜温泉の湯崎)に行幸した折、白良浜とは反対側の瀬戸湾の側に船を着けたことから瀬戸湾を「御船の谷」と呼び、熊野三所神社の森を「御船山」と呼びました。

 熊野三所神社の本殿下には長方形の磐座があるそうで、その磐座は斉明天皇の腰掛石と呼ばれます。また本殿の背後には巨大な岩があり、熊野三所神社はもともとは磐座信仰の社であったのだと思われます。かつての熊野地方の磐座信仰の面影を今に残してる神社のひとつといえます。
 後に熊野信仰が盛んになると熊野三所権現を観請し、熊野三山の別宮(この神社に参詣して熊野三山への参詣に代える場所)となりました。

 江戸時代には三社権現社と呼ばれましたが、明治元年(1868年)に熊野三所神社と社名を改めました。明治新政府による神仏分離政策のためです。
 「権現」とは仏が仮に神の姿で現われた、その神さまのこと。本体は仏さまなので、権現の名を使わないようにしました。

 熊野は神と仏を融合させた信仰により栄えた霊場です。その熊野の信仰や歴史を明治新政府は価値のないものとして否定しました。
 神と仏を一体のものとして祀る神仏習合という信仰形態こそが日本の宗教の特筆すべき点であったのですが、明治新政府の神仏分離政策は神と仏を分け、神社のなかから仏教的なものを排除させてしまいました。
 神仏習合は日本人の精神から自然発生的に生まれてきた信仰形態のように思われるのですが、それを無理矢理に神と仏とを分けてしまったことにより日本人は大切なものを失ったのではないかと思います。

 神仏習合により栄えた霊場である熊野でさえも現在は神仏習合時代の面影はほとんど見ることができず、微かに痕跡が残されるのみです。しかしながら微かな痕跡にしかすぎなくとも、神仏習合の痕跡に触れることは、異なる宗教が融和することができた過去があったという事実を知ることができるという意味で、価値のあることだと思います。

 

 境内には熊野地方には珍しい古墳があります。それは火雨塚(ひさめづか)古墳と呼ばれ、6世紀後半、古墳時代後期に築造されたものと考えられています。と考えられる古墳があります。直径8m、高さ2mの横穴式石室の円墳です。県の史跡に指定されています。江戸時代に紀州藩が編纂させた紀伊国のガイドブックのような本である『紀伊続風土記』には「火雨塚という穴がある。人が作った穴のようだが何のために掘ったのかはわからない。この穴は御船谷にまで通じていると言い伝えられている」というようなことが書かれています。

 熊野三所神社は、南方熊楠ゆかりの場所でもあります。
 南方熊楠は熊野が誇る世界的博物学者。イギリスの科学雑誌『ネイチャー』の掲載論文数は、2005年の時点での調べでは世界最多です。江戸時代生まれの日本人が『ネイチャー』掲載論文数歴代最多記録保持者。熊楠がいかに飛び抜けた学者であったかがわかります。東洋学の権威として欧米の学界にその名を知られました。

 変形菌研究の先駆者としても知られ、同じく変形菌研究者であった若き昭和天皇が会いたがって、会いに来たというものすごい生物学者でもあります。柳田国男と共に日本の民俗学を創始した民俗学者でもあり、今から100年前にエコロジーという言葉を使って初めて自然保護運動を行った人物でもあります。

 熊楠は30代半ばの頃(明治35年、1902年、数えで36歳)に約4ヶ月間(6月から9月にかけて)、湯崎に滞在し、藻類や菌類などの採集を行いました。熊楠の日記には度々「御船山」に訪れたことが記されています。熊楠が採集に訪れた熊野三所神社の森は、現在、和歌山県の天然記念物に指定されています。
 
 熊野三所神社には、熊楠と関わりがある、とあるものが保管されています。
 それは1艘の船。その船には菊の御紋がついています。昭和4年(1929年)6月1日に昭和天皇が神島に上陸した際に乗船した御座船です。「御座船奉安庫」という建物の中にそれは格納されています。

 変形菌学者でもあった若き昭和天皇は、変形菌研究の先駆者であった熊楠に会いたがり、昭和4年の関西行幸の際に瀬戸鉛山村(現在、白浜町)の京都帝国大学瀬戸臨海研究所に立ち寄ることで、熊楠との出会いを実現させました。
 昭和天皇と熊楠の出会いの場は、熊楠の運動により保護された神島という田辺湾に浮かぶ小島。
 神島は古くから神の島として信仰され、人の手がほとんど入らない自然の森が残る島として維持されてきましたが、明治42年(1909年)に合祀され、あやうく伐採されるところを熊楠らが保護運動を行い、伐採を中止させました。

 神島は熊楠の自然保護運動の象徴的な場所で、その神島に昭和天皇をお迎えすることで熊楠は神島の保護をより強固なものにしたかったのです。
 昭和天皇は京都帝国大学瀬戸臨海研究所を視察した後、御座船に乗船して神島に上陸しました。その御座船がここ、熊野三所神社には保存されています。

 斉明天皇や持統天皇、文武天皇が船を付けたというこの場所に昭和天皇の船が保存されているというのは、何か不思議な縁を感じます。

 熊楠と昭和天皇の出会いは神話の時代の出来事を思わせます。熊楠は、熊野という土地の精霊が人間の姿で現われたかのような人物です。熊野という土地の精霊と天皇との出会い。

熊野三所神社

てつ

2013.12.21 UP

 

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