み熊野ねっと

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曹洞宗のお坊さんとの対談のために用意した原稿

 

「第2回 哲夫の部屋」のために用意した原稿

2014年1月25日(土)に道の駅 奥熊野古道ほんぐうにて開催したトークイベント「第2回 哲夫の部屋」のために準備した原稿の一部です。
五郎地蔵寺住職の市橋宗海(いちはししゅうかい)さんとの対談に備えて用意しました。大ざっぱにだいたいこんな感じの流れということで。

 

こんばんは。ようこそ「哲夫の部屋」にお越しくださいました。
私がみ熊野ねっとのてつ、こと大竹哲夫です。よろしくお願いいたします。

今回が第2回ということで、前回第1回は熊野古道の語り部の第一人者である坂本勳生先生と対談させていただきましたが、今回は何とお坊さんです。

本日のゲストは、五郎地蔵寺という熊野古道沿い、万呂王子と三栖王子の間にあるお寺の住職の市橋宗海(いちはししゅうかい)さんです。本日はよろしくお願いいたします。
本宮町伏拝にある福寿院というお寺の住職も兼任されています。

 

市橋さんの紹介はこれからご本人にたっぷり語っていただこうと思いますので、その前に私の自己紹介をさせていただきます。

私は「み熊野ねっと」という熊野のことを紹介しているホームページを運営しています。
私が「み熊野ねっと」でしていることは熊野のPR。熊野ってすごい所なんだ、熊野ってすごいんだということを情報発信することです。

 

で、本日はインターネットでライブ配信をしています。見てくれている人はそんなに多くはありませんが、いちおう全世界に発信しています。

それでは、市橋さんにお話をうかがっていこうと思います。

私はお坊さんに知人や友人にお坊さんっていないので、お坊さんになる人が、どういう経緯を経てお坊さんになるのか、ということを知らないので、市橋さんがどうやったお坊さんになったのか、というようなことをお話ししていただけたらと思います。

市橋さんのこれまでの人生を語っていただくというか。

 

駒沢大学は曹洞宗が作った仏教を研究する学校がもとで、建学の理念は、「仏教」の教えと「禅」の心を現代的教育に活かしてゆくこと。

 

アップル社の創業者のスティーブ・ジョブズが禅に傾倒していました。
私の使っているこのパソコンはアップル社のです。アップル社の製品は他に、iPhoneとかiPadとかがあります。
スティーブ・ジョブズは曹洞宗の乙川弘文(おとがわこうぶん)老師に師事して、若いときには出家を志すほどでした。
アップルを飛び出てNeXT社を設立したときには、乙川師を宗教顧問として招いています。
結婚式も弘文老師に執り行なってもらっています。

シンプルな美的感覚は禅から学んだもの。

 

五郎地蔵寺は檀家のないお寺だということで、素晴らしいと思いました。

江戸時代の初めにキリシタン弾圧のために作られた制度が檀家制度ですので、信教の自由が認められる現代、いつまでも檀家制度があるのもおかしなことで、いずれは自然消滅していくものだと思います。

お寺がこの人はキリシタンだと言ってしまえば、その人を社会的に抹殺できる。江戸時代のお寺というのは大きな権力を持っていた。だから住民の立場からしてみればうざったい存在だった。
明治の初めに神仏分離令が国の命令で出されますが、その後の廃仏毀釈、お寺や仏像を破壊するというようなことは民衆が行ったこと。いかに仏教がお寺が地域の住民に疎まれてたか。お寺が心の拠り所になっていればそんなことはできなかった。

檀家制度が仏教を堕落させたということだと思うのですが。

檀家制度が消滅していく過程にある今、お坊さんはどうするべきなのか。

 

江戸時代の紀州藩のガイドブックみたいな『紀伊続風土記』という本があるのですが、それを見ていたら、熊野本宮大社の支配下にあったお寺が旧の本宮村に6ヶ寺あり、それがすべて臨済宗のお寺なんです。
『本宮町史』で調べてみたら、本宮町にあったお寺のほとんどが臨済宗か曹洞宗。禅宗のお寺なんです。

全国的には浄土真宗や浄土宗が多いのに、なぜこの地域には禅宗のお寺がほとんどなんでしょうか?

那智勝浦町は臨済宗がほとんど。

新宮や田辺の市街地はそんなことなく他の宗派のお寺もあるのは?

 

神仏習合。

 

てつ

てつ

2014.1.26 UP

 

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