■ おさんぽフォトアルバム


くまのほんぐうたいしゃ れいたいさい とぎょさい
熊野本宮大社 例大祭 渡御祭

平成23年4月13日〜15日、和歌山県田辺市本宮町。恒例の熊野本宮大社例大祭が斎行されました。自分は渡御の中なので、写真はてつ撮影です。

13日の湯登神事に続き14日は午前9時からの船玉大祭と奉納行事(今年は合気道の演武、日本舞踏、演歌『熊野古道』でおなじみの水森かおりさんの歌唱がありました)午後5時から前夜祭が行われました。

15日は午前8時の本殿祭の後、午後1時から渡御祭が斎行され、真名井社を経て旧社地大斎原まで渡御します。この日は「挑花(ちょうばな。菊のような造花)」がお供えされ渡御にも担ぎ出されますが、大社の社伝には「我を祀るに母神をも同じく祀れ」と家津美御子大神が仰せになった故事に因むとされています。

 
真名井社へ向かうお神楽の渡御

洪水で大斎原の御社殿が流される前も真名井社までの渡御があり、それは神聖な真名井(閼伽井《あかい》)の水による神輿の潔斎を意味したといいます。
 

地元児童による八撥(やさばき)神事

真名井社で八撥神事の後は旧社地・大斎原まで渡御し、斎庭神事が斎行されます。
 


地元中学生による大和舞

祝詞奏上、献饌の後、地元中学生による御神楽の大和舞(別名・審神者舞)、巫女舞、地元児童による御田植神事、八撥神事があり、熊野修験道大護摩、餅まきの後、また八撥神事を行い、最後に本殿に帰還する「還御祭」が斎行されます。


地元中学生による巫女舞


地元児童による御田植神事

本殿に帰還すると各社殿ごとに最後の八撥神事が斎行され、13日の湯登神事から何度も繰り返されてきた八撥が、この時に最も長く行われます。
現在の御本殿は第一殿から第四殿までですが、最後の八撥は第一殿、第一殿と二殿の間、二殿、三殿、四殿、最後にまた第二殿の順に、計6回行われます。第一・二殿において計4回八撥が行われるのは熊野夫須美神、事解之男命、速玉大神、伊弉諾尊、という元々の御祭神に合わせての事なのだと、本宮大社の神職さんから伺いました(御教授有難うございました)。
そうして長い御旅をなさった御祭神に還御いただき、例大祭の全ての祭典が終了します。

2011.7.4 kmauiupopoさんの「カムイのブログ」熊野本宮大社例大祭記事から動画をいただきました。有難うございます。


古文書にみる昔の例大祭



明治期の熊野本宮大社「社法格式写」(延宝〜天和年間の原本の書写)には4月の項に

「同十三日 宮渡湯登獅子八撥」
「同十五日 御田祭御膳 奉幣祝詞
    國主御代参奉幣祝詞 御師案内勤也 
    本官中座西座出仕祈 天下泰平
   五穀豊穣 御禊 
    神輿遷幸音楽 神楽
    御田植 小乙女 衆會社家供奉
    獅子八撥猿楽 高倉下社ヨリ水戸社迄」

という記述があります。

(参照:平成19年刊 和歌山県立博物館「熊野本宮大社と熊野古道展」
パンフレット p174〜176、276)

明治時代の例大祭も4月13日には湯峰で潔斎(今は真名井近くからバス移動ですが昔は大日山を越えていったのでしょう)、八撥神事があったそうですが“神社児、獅子”らによるものだったということで、神社児は現在の稚児と同義だとしても、この「獅子」は何だったのでしょう。獅子は15日にも記述が見え上記の通り“獅子八撥猿楽”というセットで書いてありますが、獅子舞だったのでしょうか。今は本宮祭に獅子は登場しませんが、ご存知の方教えて頂けたら有難いです。

「紀伊国名所図会」では5歳児以上の小児が稚児を勤めていたとされていて、「ウマ」役の人は今は3歳前後の稚児さんを肩車する事が殆どだけど、昔の人の方が肩車は重かったのだろうなと想像します。

4月15日の祭典は元々「御田祭」といい、上記の書写にある“中座・西座”は社家の名称で、御霊代を神輿に乗せ御旅所に遷すのは西座社家の勤めだったといいます。

寅の刻(明治19年の記録では午後2時)から渡御が始まり神馬、旗、弓、琴、管弦を持った社役人(里神楽は4人、管弦は4人)が神歌を歌いながら行ったという事から、神歌の言葉「しらまゆみ しらまゆみ・・・」の「ゆみ」は祓いの為の弓であったのではないかと想像します。しかし渡御で琴を持つというのはどんな琴なのか、気になります。弾きながらの渡御は難しいでしょうけど、御旅所まで運んでから楽を奉納したのかもしれません。

最後の還御(明治19年には午後6時過ぎと記載)は西の御門(現在の札の辻側に通じる鳥居)から入り、能楽と八撥が奉納され神事が終了したということで、今も宝物殿に能面が展示され、大斎原には能舞台もあったことから、かつて能楽の奉納も盛んだったことがうかがえます。


平成23年は下り坂のお天気での渡御祭でしたが、斎庭神事の前から降り出していた小雨が御神楽奉奏の間は止んでいたのが不思議です。御田植神事が終わってからまた降り出したのは「恵みの雨」だったのではないか、と参列の方々がお話しされていました。

参考文献:平成19年和歌山県立博物館開催「熊野本宮大社と熊野古道展」パンフレット、熊野三山信仰事典(戎光祥出版刊)

Thanks kmauiupopoさん

このページはFLASHを使用しています。左上にある「+」を押すとスライドショーが停止、移動ボタンと画像枚数が表示され一枚づつ移動できます。PREVボタンで一つ前の画像に、NEXTボタンで次の画像に移動します。「−」を押すとボタンが消え、スライドショーが動きだします。


画像が表示されない方はFlash Playerをこちらから ダウンロード及びインストールしてご覧下さい。



FLASH素材・・・Flashbucks

2011.4.18UP 2011.7.4加筆

■熊野の祭り

花の窟神社春季大祭,御綱掛け神事
神倉神社例大祭,お燈祭り
水門神社例祭,水門祭
熊野本宮大社例大祭,湯登神事
熊野本宮大社例大祭
熊野那智大社例大祭,那智の火祭り
闘鶏神社例大祭,田辺祭り
河内祭り,御船祭り
花の窟神社秋季大祭,御綱掛け神事
熊野速玉大社例大祭,神馬渡御式
熊野速玉大社例大祭,御船祭
木の葉神社例祭,ねんねこ祭り

スポンサード リンク

関連商品


み熊野トップ>おさんぽフォトアルバム