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古典に見る熊野那智参拝の模様

 古典に見る熊野那智参拝の模様。

後深草院二条『とはずがたり』より

やたがらすナビより転載)  てつによる現代語訳はこちら

巻5 22 例の宵暁の垢離の水をせむ方便になずらへて那智の御山にてこの経を書く・・・ [やたがらすナビ]

例の宵暁の垢離(こり)の水をせむ方便になずらへて、那智の御山にて、この経を書く。長月の 二十日余りのことなれば、峰の嵐もやや激しく、滝の音も涙争ふ心地して、あはれを尽したるに、

  物思ふ袖の涙をいくしほとせめてはよそに人の問へかし

形見の残りを尽くして、唱衣(しやうえ)いしいしと営む心ざしを、権現も納受し給ひにけるにや、写経の日数も残り少なくなりしかば、御山を出づべきほども近くなりぬれば、御名残も惜しくて、夜もすがら拝みなど参らせて、うちまどろみたる暁方の夢に、故大納言のそばにありけるが、「出御の半ば」と告ぐ。

見参らすれば、鳥襷(とりだすき)を浮織物に織りたる柿の御衣(おんぞ)を召して、右の方へちと傾(かたぶ)かせおはしましたるさまにて、われは左の方なる御簾より出でて、向ひ参らせたる。証誠殿(しようじやうでん)の御社に入り給ひて、御簾を少し開けさせおはしまして、うち笑みて、よに御心よげなる御さまなり。また、「遊義門院の御方も出でさせおはしましたるぞ」と告げらる。見参らすれば、白き御袴に御小袖ばかりにて、西の御前と申す社の中に、御簾、それも半(はん)に開けて、白き衣二つ、うらうへより取り出でさせおはしまして、「二人の親の形見を、うらうへへやりし心ざし、忍びがたく思し召す。取り合はせて賜ぶぞ」と仰せあるを賜はりて、本座に帰りて、父大納言に向かひて、「十善の床(ゆか)を踏みましましながら、いかなる御宿縁にて、御片端(かたは)は渡らせおはしますぞ」と申す。「あの御片端は、いませおはしましたる下に、御腫れ物あり。この腫れ物といふは、われらがやうなる無知の衆生を多く後(しり)へ持たせ給ひて、これをあはれみ、はぐくみ思し召すゆゑなり。全(また)くわが御誤りなし」と言はる。また見やり参らせたれば、なほ同じさまに、心よき御顔にて、「近く参れ」と思し召したるさまなり。立ちて、御殿の前にひざまづく。白き箸のやうに、本(もと)は白々と削りて、末には梛(なぎ)の葉二つづつある枝を、二つ取り揃へて賜はると思ひて、うちおどろきたれば、如意輪堂の懺法始まる。

何となくそばを探りたれば、白き扇の檜(ひ)の木の骨なる、一本あり。夏などにてもなきに、いと不思議にありがたく覚えて、取りて道場に置く。このよしを語るに、那智の御山の師、備後律師かくだうといふ者、扇は千手の御体といふやうなり。必ず利生あるべし」といふ。

夢の御面影も覚むる袂(たもと)に残りて、写経終り侍りしかば、「ことさら残し持ち参らせたりつる御衣(おんぞ)、いつまでかは」と思ひ参らせて、御布施に、泣く泣く取り出で侍りしに、

  あまた年慣れし形見の小夜衣(さよごろも)今日を限りと見るぞ悲しき

那智の御山にみな納めつつ、帰り侍りしに、

  夢覚むる枕に残る有明に涙ともなふ滝の音かな

かの夢の枕なりし扇を、「今は御形見とも」と慰めて帰り侍りぬるに、はや法皇崩御なりにけるよし、承りしかば、うち続かせおはしましぬる世のあはれも、有為無常の情けなき習ひと申しながら、心憂く侍りて、われのみ消(け)たぬむなしき煙(けぶり)は、立ち去る方なきに、年も返りぬ。

てつによる現代語訳はこちら

(てつ)

2009.8.6 UP
2022.7.15 更新

参考文献