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◆ 古典に見る熊野那智参拝の模様


 古典に見る熊野那智参拝の模様。

・後深草院二条『とはずがたり』より

 般若経の残り二十巻を、今年書き終えようという宿願を、数年このかた、熊野で果たしたいと思っておりましたので、ひどく水が凍らぬ前にと思い立って、長月(陰暦九月)の十日頃に熊野へ立ちましたときにも、法皇のご病状はまだ同じご様子とお聞きするも、結局どういう給果をお聞き申しあげるだろうか、などとは思い申し上げたけれども、去年の後深草院の崩御の折のお悲しみほどにはお嘆き申しあげにならなかったのは、情けない愛別離苦(愛する人と生別、死別しなければならない苦しみ)の思いであることよ。

 例の宵・暁の垢離(こり。冷水を浴びて、心身を清めることと)の水を前方便になずらえて、那智の御山にて、この経を書く。長月の二十日過ぎのことなので、峰の嵐もやや激しく、の音も涙の声と争ようで、悲しみを尽くした心地がするので、

物思ふ袖の涙をいくしほとせめてはよそに人の問へかし

悲しい物思いをして袖を幾度濡らしたことかと、せめて余所事のように誰か尋ねておくれ。

 父母の形見の品の残りをことごとく売却して、写経をつぎつぎと営む心ざしを、熊野権現も納受されたのであろうか、写経の日数も残り少なくなって、御山を出る予定の日も近くなったので、お名残も惜しくて夜通し拝み申し上げなどして、ちょっとまどろんだ暁方の夢に、

 故大納言(亡父、源雅忠)のそばに私はいたが、故大納言は「後深草院のお出ましの途中」と告げる。
 見申し上げると、鳥襷(とりだすき。甘の御衣の浮き織物の文様。尾長鳥を唐花のまわりに配して輪違えとした模様)の模様を浮き織物に織った甘の御衣(かんのおんぞ。上皇の平服として着用する直衣)を召して、右の方にちょっとお傾きになっている様子で、私は左のほうにある御簾(みす)から出て、院にお向い申し上げた。院は証誠殿(しょうじょうでん。ここでは、本宮の主祭神を勧請した那智社の第二殿)の御社にお入りになって、御簾をすこしお上げになられて、微笑んで、じつに心地よさげなご様子である。

 また、父大納言に「遊義門院(ゆうぎもんいん。1270〜1307。後深草院の娘。この時点では存命中。母は東二条院)の御方もお出ましになったぞ」と告げられる。
 見申しあげると、遊義門院は白いお袴(はかま)に御小袖(こそで。袖口を狭くした肌着)ばかりを召して、西の御前(にしのごぜん。那智社の主祭神を祀る第四殿)と申し上げる社の中に御簾、それも半分に上げて、白い衣を二つ、左右からお取り出しになって、「二人の親の形見を東西へとやった志は、気の毒に思う。取り合せて遣わすぞ」と仰せになるのを、たまわって私は本の座に帰り、父大納言に向って、「善因善果で、天子の位に即いておいでになりながら、どのような御宿縁で御かたわでおいでになられるのですか」と申し上げる。
 父は、「あの御かたわは、座っていらっしゃる下に御腫れ物がある。この腫れ物というのは、我々のような無智の衆生を大ぜい後ろにお従えになって、これをあわれみ育もうとお思いになられるためである。まったく御自身に御過ちはない」と言われる。

 また後深草院を見申し上げると、なお同じ様子で心地よさげなお顔で「近くに参れ」とお思いになっている様子である。私は立って御殿の前にひざまずく。白い箸のように、元のほうは白々と削って末のほうには(なぎ。熊野の神木)の葉が二枚ずつある枝を、院は二つとりそろえて下された。

 と思って、ふと目が覚めると、如意輪堂(にょいりんどう。今の那智山青岸渡寺)の懺法が始まるところである。
 なにげなく側をさぐったところ、白い扇で檜の骨の(檜扇のこと)が一本あった。夏などでもないのに、とても不思議で有難く思われて、手に取って道場に置く。
  このことを語ると、那智の御山の御師(おし。熊野に迎えた参詣者の祈祷や宿泊、山内の案内を行う僧)、備後(びんご。今の広島県東部)の律師かくたうという者が、「扇は千手観音の御体というようである。必ずご利益があるだろう」と言う。

 

 古典に見る熊野本宮参拝の模様

 古典に見る熊野新宮参拝の模様

(てつ)

2009.8.6 UP

◆ 参考文献

新日本古典文学大系50『とはずがたり たまきはる』岩波書店
次田香澄『とはずがたり〈下〉全訳注』講談社学術文庫

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