■ 熊野の説話

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◆ 法華経と大蛇


 『日本往生極楽記』に納められ(第三十一)、『今昔物語集』にも採られた(巻第十三、第十七)、こんなお話があります。
 
伊勢路を行く法華経行者が道中、大蛇に出会うお話です。『今昔物語集』より現代語訳します。

雲浄持経者、誦法花免蛇難語

 今は昔のことだが、雲浄(うんじょう。伝未詳)という持経者がいた。若いときから日夜、法華経を読誦して年を経た。
 そうする間に「国々に行って所々の霊験所を拝もう」と思って、
熊野に詣でるその道中、志摩国を過ぎる間に日が暮れて、行って宿れる場所がない。
 ところが、大きな海のほとりに高い岸がある。その岸に大きな巌の洞がある。その洞に宿った。ここは遥かに人里離れた境で、洞の岸の上に木が隙間なく生い茂っている。

 雲浄は洞の中に座して、心を尽くして法華経を読誦する。洞の中は限りなく生臭い。であるので、これを恐れていると、夜半ほどに微風が吹いて、いつもと異なる気配で、生臭い匂いがいよいよ増す。
 雲浄は驚き恐れたけれども、すぐに立ち去ることはできない。暗い夜で、東西もわからない。ただ大きな海の波の立つ音ばかりが聞こえる。やがて洞の上から大きな者が来た。驚き怪んでよく見ると、大きな毒蛇であった。洞の入り口にいて、雲浄を呑もうとする。

 雲浄はこれを見て、「私はここで毒蛇のためににわかに命を捨てようとする。ただし、私は法華の力によって悪道に堕ちずに浄土に生まれよう」と思って、心を尽くして法華経を読誦する。
 すると毒蛇はたちまちに見えなくなった。その後、雨が降り、風が吹き、雷が鳴り、洪水が起こり、上の山にまで達した。やや長くあって、雨は止み、空は晴れた。

 そのときに、一人の人が出てきて、洞の口から入り、雲浄に向かって座った。この人が誰かは知らない。人が来るはずもないのに、このように来たので、「これは鬼神などであるのだろう」と思うが、暗いのでその姿は見えない。ますます恐れおののいていると、この人は雲浄を礼して言った。
 「私はこの洞に住んで、生き物を害し、ここに来た人を食して、すでに多年を経た。いままた聖人を呑もうとしたが、聖人の法華を読誦する声を聞くと、私はたちまち悪しき心をとどめて善き心を起こした。
 今夜の大雨は、真の雨ではない。私の二つの眼から流れ出る涙である。罪業を滅するために慚愧の涙を流す。これから後、私は決して悪しき心を起こすまい」と言って、かき消すようにいなくなった。

 雲浄は毒蛇の難を免れて、ますます心を尽くして、法華経を読誦して、かの毒蛇のために回向(えこう。自他ともに浄土に生まれられるように祈ること)する。
 毒蛇はまたこれを聞いて善き心を起こしたのだろう。夜が明けると、雲浄はその洞を出立して
熊野に詣でた。夜の雨風、雷の跡は、その洞以外の場所には少しもなかった。
 これを思うと、このように知らない所には宿りしてはならないと、雲浄が語ったのを聞いて、語り伝えるとか。

 熊野詣にまつわる話で大きな毒蛇が登場する話は他にもあります。安珍清姫のお話です。
 安珍に騙されたと知った清姫は、安珍を追い、大きな毒蛇となって安珍を焼き殺しました。
 安珍は蛇に生まれ変わって、大毒蛇の清姫と夫婦になりますが、その後、2匹の蛇はやはり法華経の霊験によって天界へと生まれ変わりました。

(てつ)

2005.7.14 UP

 ◆ 参考文献

日本古典文学大系『今昔物語集 三』岩波書店
佐藤謙三校注『今昔物語集 (本朝仏法部上巻)』角川ソフィア文庫

 

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