■ 熊野の説話

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◆ 伏拝王子、和泉式部


 熊野古道中辺路を歩き、熊野本宮大社まであと1時間ほどというところまで来た伏拝(ふしおがみ)という場所に伏拝王子(ふしおがみおうじ。王子とは熊野権現の御子神。熊野権現の分身のこと)があります。
 伏拝王子にまつわる伝説として、平安中期の女流歌人、
和泉式部(いずみしきぶ。977頃〜没年不明。中古三十六歌仙の一人)が登場する次のようなお話があります。

 和泉式部が熊野詣をして、伏拝の付近まで来たとき、にわかに月の障りとなった。これでは本宮参拝もできないと諦め、彼方に見える熊野本宮の森を伏し拝んで、歌を1首、詠んだ。

  晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき

 すると、その夜、式部の夢に熊野権現が現われて、

  もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき

 そう返歌したので、和泉式部はそのまま参詣することができたという。

 歌の功徳によって神仏からご利益を受ける歌徳説話の一種です。

 この和泉式部と熊野権現の歌のやり取りは、熊野が血のケガレを意に介さないのだということを示しています。

 『延喜式』という平安時代中期に編纂された法令集では、死と出産と血の3つが国家的に不浄なものとして規定され、女性の生理も不浄なものとされましたが、熊野はそんなことなど気にしないからどうぞ来なさい、と。

 中央とは異なる価値観を熊野は有しているのだということを堂々と示しているのが、このエピソードです。

 南北朝から室町時代にかけて、熊野信仰を全国に広めていったのは、神道でも修験道でもなく、一遍上人を開祖とする時衆(じしゅう)という仏教の一派の念仏聖たちでした。この和泉式部の伝説は、時衆の念仏聖たちが熊野の神は他の神様とはちょっと違うのだということをアピールするために作った物語のひとつなのだと思われます。

 何が違うのかというと、熊野の神は、ハンセン病の患者であろうと、生理中の女性であろうと、およそ「浄不浄をきらはず」、受け入れるということです。いまの女性にとっては納得いかないことかもしれませんが、かつては女性の生理は不浄なものでした。
 生理中の女性でも受け入れる。そのことを宣伝するために和泉式部をかつぎだして、時衆の念仏聖たちがこのようなお話を作り出したのでしょう。

(てつ)

2014.10.26更新

 ◆ 参考文献

きのくに民話叢書1『熊野・本宮の民話』和歌山県民話の会

 

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■女性の熊野参詣
西行の熊野詣

■時衆の念仏聖が成立に関与したと考えられる説経『小栗判官』
1 深泥ケ池の大蛇
2 照手姫
3 人喰い馬
4 小栗の最期
5 水の女
6 餓鬼阿弥
7 小栗復活

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