■ 熊野の説話

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◆ 法然上人の弟子の往生


 『法然上人絵伝』三五 続4(『日本絵巻物全集』一三)に、こんなお話が。

 直聖房という僧がいた。法然上人の弟子となって、一向専念の行を修していた。

 あるとき、熊野山へ参っていたところ、上人が配流されなさったことを聞いて、急ぎ下向しようとしたが、急に重い病にかかり、下向できなかったので、丁寧に熊野権現に祈り申し上げたところ、その僧の夢に示現があった。

 「臨終はすでに近づいている。下向してはならない」と熊野権現がお示しになったので、「法然上人の御事があまりに心配ですので、早く下向してお聞きしたいのです」と申し上げたところ、「かの上人は勢至菩薩の化現である疑ってはならない」と重ねて示し仰せられた、と夢に見て、目覚めた。
 その後、いくほども経ずして臨終正念で往生を遂げた。

 平安時代中期頃からか、熊野本宮の神は極楽往生を保証する神となり、熊野本宮には極楽往生を願う人々が集いました。
 浄土教系の鎌倉新仏教、法然(1113〜1212)の浄土宗・親鸞(1173〜1263)の浄土真宗・一遍(いっぺん。1239〜1289)の時衆。

 法然その人、親鸞その人が熊野を詣でたことはなかったでしょうが、彼らの弟子たちは熊野を詣でています。
 また時衆の開祖の一遍上人その人は熊野を詣で、熊野本宮で熊野権現の夢告を受け、その夢告により宗教的な覚醒を得ています。

 それまで皇族や貴族などの上流階級のものであった熊野信仰を庶民にまで広めていったのは、じつは時衆なのでした。
 時衆にとって熊野本宮は開祖一遍上人が宗教的な覚醒を得たとても重要な場所であり、
時衆の念仏聖たちは南北朝から室町時代にかけて熊野の勧進権を独占し、説経『小栗判官』などを通して熊野の聖性を広く庶民に伝え、熊野信仰を庶民にまで広めていったのです。

(てつ)

2005.7.27 UP

 ◆ 参考文献

『本宮町史 文化財編・古代中世史料編』

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