■ 熊野の説話

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◆ 思い違い


 鎌倉時代の高僧、無住(1226〜1322)が著した仏教説話集『沙石集(しゃせきしゅう)』に、熊野詣のときのお話があります(拾遺〔七五〕)。

 熊野詣のときに、共に連れた僧がいました。人の普通の習慣とはいいながら、ことに自分の考えを正しいと思いがちな僧であったが、住吉の社へ参詣して「なぜ龍田山はないのですか」と言う。
 「龍田山は大和の名所だ。ここは摂津国だ。なぜあるのか」と言うと、それも不審に思って「障子の絵には一所に描いてありましたものを」と言う。
 絵を本当のことと思って、ある僧坊の庭先の草木を植えてある所に住吉とした鳥居を立て、龍田山と名付けて山を作ったのを日頃見慣れて、一所にあるものと思っていた。衆生が妄想の無我のなかで我を解するのは、これに似ている。

 また三鍋(みなべ。今の和歌山県日高郡みなべ町)という所に泊まって早朝の出発のとき、「くく立の酒いり(?)が」と言い、それを待てども見えぬので、雑掌所へ尋ねたところ、「そのようなことはございません」と言われる。
 「何かに御分(?)」と言うと、「うしろのそのに、くく立がありましたならば、さかいり候はんずらんと推量しておりました(?)」と言った。衆生の手本である。無我の中で邪な推量をして実我実法に執着して無相の仏の知見から遠ざかる。

 本当は間違っているのにそれを正しいと思い込んでしまうことはよくあることです。
 気をつけなければならないと思いますが、思い込みというのは知らずにできてしまうものなので、なかなか難しいです。
 僕も、間違ったことは書いていないつもりでいますが、もしかしたら間違ったことを書いているところもあるかもしれません。お気づきの点などございましたら、遠慮なくご指摘ください。
 誤字や脱字などもご指摘いただけたら嬉しいです。

(てつ)

2005.8.17 UP

 ◆ 参考文献

日本古典文学大系『沙石集』岩波書店

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