■ 熊野の説話

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◆ 熊野の姥石


 南方熊楠柳田国男宛書簡(明治44年10月16日付)より。

 『塩尻』(中略)三七巻六〇三頁、出羽延沢銀山の隣郷中島村の熊野祠は、文禄年中に村民、熊野七度詣でせし那智の浜にて一小石を拾い帰国せし。年月を経てその石大になりゆくほどに、八十年来、母石は一拱(かかえ)あまりになり、形老嫗のごとしとて姥石(うばいし)という。この石より児石分すること二千余にて、年々に重なりふとりて、太郎石、次郎石、孫石大小あり。小石はみな卵の形に似たり、これを崇めて今熊野という由、かかることもあるにや。

熊楠いわく、玉石とて図の如く石を多く異質の石塊中に孕めるあり。これを人工もてとり出し、または風雨などにて自然にはなれ出づるを石が石を生むというならん。ただし、大きく成長すということ一向分からず、虚伝と思うのほかなし。

 山形県北村山郡宮沢村中島の熊野祠。
 同じ書簡で、熊野にある子を生む石についても触れられています。

 『紀伊続風土記』巻八七、牟婁郡北山郷神山村、旧家倉谷善兵衛、平維盛を隠せる人の後という。その家の庭に小祠あり、丸き石を祀る、由来未詳。毎年子を生む、およそ六、七十石も生んだり。先年火災に遭いしより今は産せずという。

 熊野では、三重県熊野市飛鳥町の「亥の子石」も小石を生んでいたと伝えられています。

 種子島の熊野神社(鹿児島県熊毛郡中種子町南界熊野)の御神体も、熊野から持ち帰った石で次第に大きくなり、また小石を生むようになった、と伝えられています。

 大きく成長するだけの熊野の石の話もあります。

(てつ)

2013.11.13 UP

 ◆ 引用文献

『南方熊楠全集 第8巻 書簡 2』 平凡社
 引用箇所は183頁、188頁

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