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幸徳秋水(こうとく しゅうすい)

大逆事件で処刑された社会主義者・幸徳秋水の歌

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幸徳秋水
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 幸徳秋水(こうとく しゅうすい、1871年~1911年、明治4年~明治44年)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、アナキスト。「大逆事件(幸徳事件とも)」で処刑された12名のひとりです。

 明治41年7月25日、幸徳秋水は新宮の医師、大石誠之助を訪ねました。大石誠之助は友人を誘い、熊野川に船を浮かべ、幸徳秋水歓待の月見の宴をはったといわれます。そしてその船上で幸徳秋水らは天皇暗殺の謀議を行なったと。
 このことにより大逆罪を犯したと(大逆罪とは、天皇、皇后、皇太子等を狙って危害を加える事を指した罪名。適用される刑罰は死刑のみ)、明治43年(1910年)6月、幸徳秋水、大石誠之助らは逮捕され、翌年1月18日に死刑判決を受け、異例の早さで1月24日に処刑されました。

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 その幸徳秋水の詠んだ歌。

三熊野の牛王の鴉吐ける血に 革命の旗染めてぞ誓う

 三熊野の牛牛(ごおう。牛玉とも書く)とは熊野三山が発行する発行するお札、厄除けの護符のことです。様々な寺社から牛王は発行されていましたが、それら牛王のなかでもっとも神聖視されていたのが、熊野の牛王でした。
熊野の牛王は、厄除けのお札としてだけでなく、裏面に誓約文を書いて誓約の相手に渡す誓紙としても使われてきました。熊野の牛王によって誓約するということは、熊野の神にかけて誓うということであり、もしその誓いを破るようなことがあれば、たちまち神罰を被るとされていました。

 熊野の神への誓約を破ると、熊野の神のお使いであるカラスが三羽亡くなり、誓約を破った本人は血を吐いて地獄に堕ちるとされていました。

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 この「大逆事件」は、社会主義を恐れた政府が社会主義者たちを一網打尽にするために仕組んだ謀略である、というのが真相のようです。
 この社会主義者たちの逮捕は、当時でも国家によるフレームアップ(でっち上げ)なのではないかと考えられていたようで、アメリカやイギリスやフランスでは抗議運動が起こり、各国の日本大使館に抗議デモが押し寄せたために政府は急ぎ判決を下し、急ぎ処刑をしたとのこと。

大石誠之助の死を傷んで与謝野寛が書いた詩

(てつ)

2008.10.27 UP
2019.11.2 更新

参考文献