■ 全国熊野神社参詣記

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『足助八幡宮縁起』

(原漢文.穂国幻史考管理人・柴田晴廣さんによる意訳)

 天智の時代に三河国宝飯郡大深山(おおみやま)に、怪異三体が出現した。一つは、猿の形、一つは、鹿の姿、もう一つは鬼体で大木の梢や巌石の上を自由に飛び回った。人々が怪しんでいると、猿形は、石船に乗り飛び去った。これが、高橋庄猿投大明神である。鹿の姿の怪異者は、大深山に留まった。砥鹿大菩薩の化現である。三河国一宮がこれである。また鬼神は、よく物を言う。我は紀州牟漏郡熊野本宮より国廻りする者なりという。大深山は、鬼が出現したことから鬼見山と呼ばれるようになった。また、本宮山とも呼ばれる。その後、鬼形は、黒雲に乗じて北方に飛び去り、足助郷深山というところに至った。ここは、人家は稀で、雲霧のみが深い。鬼体は、ここに棲もうと思い、一夜で霊山を築いた。今の飯盛山である。霊山の形は、宝珠に似て飯を盛った如くであり、円満の相である。鬼神ここに棲み、名を善証鬼と称した。ここに棲んでいたが、三年は、人に知られることなく、その後、人に知られたけれども、鬼形におそれをなして人々は近づかなかった。善証鬼は、人身に変じ、名を帰能士と改めた。この山の下に自足城姫(みたりきひめ)という神の娘があり、帰能士は、この姫と夫婦となり、七年が過ぎた。一女二男生み、娘は、崇見足姫(たかみたりひめ)といい、二人の息子の一人は、賀浄夫、もう一人は、好棊士といった。その後、帰能士は、天武の時代の白鳳三(六七五)年二月一一日、「我是護国霊験神、現世即得求長寿、官禄富饒皆成就、当来広度諸群生」の言葉を残して昇天した。この言葉により、賀浄夫と好棊士の二人は、社を造り、八幡宮と崇奉した。

 そして、縁起は、帰能士が昇天するときに残した「我是護国霊験神」とは、欽明三二(五七一)年、豊前宇佐に八幡神が現れたときに「護国霊験威力神通大自在王菩薩」と名乗ったことに由来し、「現世即得求長寿、官禄富饒皆成就」とは、薬師本願経の「求長寿徳長寿、求富饒徳富饒、求官位徳官位」に基づくものである。それゆえ、神宮寺の本尊は、薬師如来である旨を述べています。

 しかし、この地は、人家稀であり、崇敬する人もなく、桓武の時代になり、源秀弘という人物が、足助八幡宮の前を通ると、俄かに馬が倒れ落馬し、目眩をおこし右も左もわからなくなった。そのとき、「我はこの山中に神として現れ、幾年が経つが、我を崇敬するものはいない。今から我を恭敬すれば、子孫繁栄し、武運長久たるべきことを知らせんがために落馬させた」との神託が降った。その後、源秀弘が、この神を祀るようになり神威が増した。(後略)

 この後、足助八幡宮縁起は、建武四(一三三七)年の事項まで記載され、室町頃の成立といわれています。

Thanks 柴田晴廣さん

2004.5.6 UP
番外編 No.10

知県豊田市足助町宮ノ後

読み方:あいちけん とよたし あすけちょう

郵便番号:〒444-2424

豊田市HP

豊田市 - Wikipedia
豊田市(とよたし)は、愛知県西部(西三河地方)に位置する市で、中核市である。トヨタ自動車が本社を置く企業城下町として知られている。
濁音で「とよだ」と誤読される事があるが、正しくは清音で「とよた」である。ただし、市名の由来であるトヨタグループの創始者である豊田佐吉や一族の姓は「とよだ」と濁音である

2009.1.27 16:11 の版より)

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