■ 全国熊野神社参詣記

 み熊野トップ>全国熊野神社参詣記>愛知県の熊野神社

 河合さんから投稿いただきました。ありがとうございます。
 河合さんのHP「まちもよう」はこちら


十二所神社

十二所神社全景

愛知県海部郡大治町大字砂子字千手堂703

大治町は、庄内川及び新川(江戸時代開削された人工河川)をはさんで
名古屋市中川区と隣接する町です。
佐屋街道が十二所神社の南から西に回り込んでおり、
江戸時代の幹線道路に面した位置にあります。
神社には歴史がありますが、今は背景に大きなマンションが三棟も建ち、
神社の雰囲気が薄く感じるのは時代の流れかもしれませんね。

参考
佐屋街道は、東海道の熱田宿から桑名宿を連絡する七里の渡しが海路であるため、
常時利用できないとか、安全のため開設された脇街道で、
熱田宿から佐屋宿(津島の南に位置する)を連絡していました。
嘉永11年(1634)の設置ですが、大阪夏の陣(慶長20年、1615)の時に
徳川家康が通行したとも言われています。

十二所神社鳥居

十二所神社の社標と鳥居。撮影した位置が佐屋街道になります。
約300メートル先に拝殿・本殿がありますが、マンションしか見えません。

十二所神社拝殿

拝殿の「十二所社」と「七所神社」の扁額。マンションが迫っています。
ここから西50mの位置に佐屋街道が通っていました。

十二所神社拝殿

佐屋街道に設置された高札場跡。

神社の由緒

  御祭神  十二所権現に七社大明神

大治町民俗誌(下巻)は、「尾張洵行記」(寛政年代1812)によると
勧請は大宝3年寅年(703)、再建は寛永3寅年(1626)とあります。
「尾張洵行記」は江戸時代の伝聞や風俗を書きとめた書物ですが、
日本初の法令である大宝律了が制定された年代の勧請は少し疑問と思われます。
その訳は私見ですが、奈良・平安時代の海道は陸側2キロ程の位置にあり、
それ以前は人が定住できる土地ではない(海である)と思われることです。
寛永年代の再建が、実質的な勧請年次と置きなおすと地形の変化からも分かりやすく思います。

Thanks 河合さん

2009.6.23 UP
No.986

愛知県海部郡大治町砂子

読み方:あいちけん あまぐん おおはるちょう すなご

郵便番号:〒 490-1143

大治町HP

大治町 - Wikipedia
大治町(おおはるちょう)は、愛知県の西部に位置し、東側と南側を名古屋市と接する町。名古屋市のベッドタウンとなっている。名古屋市中村区の太閤通りを西にまっすぐ進んで橋を渡ると、すぐ大治町である。また大治浄水場は、名古屋市上下水道局が所轄している。
古くから農業で栄えてきた町だが、現在は当町の東側と南側が名古屋市に隣接しており、名古屋市中心部から比較的近い割に地価が安いため、住宅地開発や大規模マンション建設がここ10年で一気に進み、現在も人口が増加し続けている。

楽天おすすめ


み熊野トップ>全国熊野神社参詣記>愛知県の熊野神社