■ 全国熊野神社参詣記

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 日照院さんから投稿いただきました。ありがとうございます。


万福寺十二神社

万福寺十二神社拝殿

神奈川県川崎市麻生区万福寺

 新百合ヶ丘北口より、世田谷通りへ出た所の高台にある。万福寺の大半を占めた小田急小田原線新百合ヶ丘駅西側の小高い丘は、つい最近まで木々の茂る森であった。この森は川崎市域でもまとまって残った里山であり、湧水、湿地帯等もあって季節には蛍がとび、沢蟹がいるような所で、古鎌倉道の伝説もある貴重な森であった。平成十四年度より宅地開発がはじまり、一部を残して景観は様変わりしたようである。

 十二神社はこの森を社叢林として、南の台地上に厳かに鎮座している。参道から境内までは、昼尚暗い緑のトンネルのようである。土地開発後も社地周辺は保全される事となっているという。 
 『新編武蔵風土記稿』によれば、万福寺村の項に「十二所社」とあり、「村内医王寺の東丘上にあり、飯綱稲荷を合殿とす…村民の持なり例祭は九月十二日なり」とある。現在も9月12日に例祭が行われている。

万福寺十二神社例祭
九月十二日の例祭 2000年頃

 由緒は、神社の下にあった旧家が、正徳元年(1711)に氏神として出身地の神を勧請したものが始まりという。この旧家は熊野が出身地とされ、熊野社を勧請したものと見られる。その後土地に住む人々の守護神となった。主祭神は、宇気母智大神。

 ちなみに『風土記稿』の医王寺とは、現在は廃寺となっているが、十二所社参道の東側の下にあった。土地開発以前には跡地に万福寺会館が建てられ、その会館の中に医王寺の遺物が安置されていた。『風土記稿』によれば、真言宗で、金栄山と号す、本尊の薬師如来は高さ二尺あまりの坐像で行基の作と伝えている、開山の時代は未詳、等と書かれている。

 以前この医王寺の遺物を見学させてもらった事があるが、本尊の薬師如来は宋元様の特色が見られる中世の作で、不動明王三尊も桃山時代とされ、江戸時代作の日光月光菩薩、十二神将、首の無い閻魔王像なども公民館の壇上に安置されていた。どれもなかなか見事で、廃寺の仏像がかように良く保存されている例はあまり無いのではないだろうか。年に3回ほど地元の人々が念仏講を開いていたが、公民館が建替え中であるため現在はお休みをし、仏像も別地に移転しているそうである。

万福寺会館 医王廃寺旧仏
薬師如来三尊十二神将
薬師如来三尊十二神将
不動明王制咤迦童子像
不動明王制咤迦童子像

 万福寺という地名については、『風土記稿』に「いにしえ万福寺と云寺院のありしゆえ、かかる名もあるにや、今は土地にもその伝え無し、また正しく寺跡と覚ゆる地もみえず」とある。
 万福寺地区は現在土地開発事業の真っ直中であり、万福寺の森の景観も著しく変わっているようである。事業計画の中に、文化事業としての十二神社の整備が挙げられていたので、いま建替えているものかと思う。先のような貴重な森なら、「文化事業として」森全体を公園にでもして残せば良かったのに、と思うのは土地に住まないものの勝手な考えだろうか。

Thanks 日照院さん

2003.1.12 UP
No.168

神奈川県川崎市麻生区万福寺

読み方:かながわけん かわさきし あさおく まんぷくじ

郵便番号:〒215-0004

川崎市HP

川崎市 - Wikipedia
川崎市(かわさきし)は、神奈川県の北東端に位置する政令指定都市である。東京特別区(東京23区)全体及び政令指定都市17市の中で面積は最も小さい(最も大きいのは浜松市)が、人口は全国第9位である。

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