■ 全国熊野神社参詣記

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熊野三社権現(大熊長福寺境内社)

神奈川県横浜市都筑区仲町台四丁目8-10

・長福寺熊野三社権現
  鎮座地:神奈川県横浜市都筑区仲町台四丁目8-10
・大熊杉山神社
  鎮座地: 同県 同市 都筑区大熊497

 横浜市都筑区仲町台にある長福寺の境内社に熊野三社権現社がある。平成十六年の正月二日、お参りさせてもらってきた。
 この熊野社、現在は長福寺の境内社となっているが、江戸時代までは熊野社は独立した神社で、長福寺はその別当であった。

長福寺参道

山門より本堂を望む

 江戸後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、当社には平将門が願を懸けたという伝説が在るという。「熊野社」は「本地仏弥陀木の立像長四寸許」をまつり、「縁起によるに、当社は承平年中、平将門宿願によりて、不思議の霊夢を蒙り、この社に七日参篭せる夜、□(コケラ)不動閻浮檀金の観音を授かり、それより将門威勢盛んになれりとぞ、その後天文年中に至り橘樹郡篠原村の城主師岡越前守伽藍を再興せし…」(□は草冠に冊、括弧は本文のママ)とある。承平年中は931〜938年で平安時代である。この伝説によればそれ以前から当社は存在するという事になり、これが真なら相当な古社ということになる。

熊野三社権現内部

 天文年中は1532〜1555年。この時に伽藍を再興したという「橘樹郡篠原村の城主師岡越前守」については、調べが及ばずよくわからないが、篠原村には別当長福寺と同名の寺院がある。その寺は篠原村に在る篠原城を守った金子出雲の墓所であったという。金子氏は後北条氏の傘下で、小机城主のもと「小机衆」として名を馳せた武士集団の一人である。この寺との関わりが在るように思われる。また、師岡の姓は、関東随一霊験所と号する師岡熊野神社の所在地と関係がある者であろう。大熊には中世の墓碑が出た遺跡などもあり、中世には開けていたとされている。
 天文以降、戦国の世に修理を加えるものも無く荒廃したが、江戸時代には社領五石餘の御朱印を受けている。

 『新編武蔵風土記稿』で長福寺に関しては、「本社に向いて右にあり、禅宗曹洞派…久松山と称す…本尊釈迦木の坐像長一尺二寸許…」とあり、末社に毘沙門堂、稲荷社を記載している。開山は「今自山応大」という天正十五年(1587)に寂した僧としており、それより前には神官の別当が在ったのだろうとも記している。寺伝によれば鶴見区の下末吉宝泉寺四世自山純応大和尚が天正三年(1575)に開山したという。『新編武蔵風土記稿』によれば下末吉にも熊野社があり宝泉寺末の熊野山西光寺が管理していたとある。その後安政元年(1854)に火災のため堂宇は焼失、文久四年(1864)には再建している。
 『新編武蔵風土記稿』当時は正面に熊野社が鎮座し、脇に世話役としての長福寺がある、といった位置関係であったようだが、現在は正面に大きな本堂を持つ長福寺があり、本堂に向って左側に熊野三社権現社が小さくある。

 明治四十二年、熊野社は村社大熊杉山神社に村内数社とともに合祀された。ご住職のお話によると昭和のはじめ頃には寺に熊野社の建物はなく、かつて熊野社があった場所は木が生い茂っていて、平らになった部分を確認できる程度であったという。現在の本堂のある高台が熊野社の跡地にあたる。しかし、熊野社の御神体の仏像は杉山神社に合祀後も長福寺に残り、昭和初年まで現在の庫裏の辺りにあった本堂の本尊脇に安置され、熊野三社大権現として祀られ続けていたらしい。

 昭和九年に先代(二十八世)住職が寄附を募って新たに社殿を建て、本堂から御神体を遷した。その後、昭和四十年代より港北ニュータウンの開発が始まり、大熊地区もだんだんと開発されていった。長福寺の境内も昭和五十五年(1980)に熊野社を建て替え、平成五年(1993)には築129年の本堂を現在位置に建て替えるなど漸次整備をくわえている。
 この境内の整備以前は、木々に囲まれて「長福寺前というバス停なのに寺がないじゃないか」という人がいるほどであったとか。現在の境内はバス通りからもよく見え、開放的な雰囲気をもっている。墓地にそびえる巨大な観音像が印象的である。

 熊野社も平成五年に再開発のため解体。現在の社殿は平成八年(1996)に新築されたもので、「熊野三社大権現」の扁額が掲げられている。中には宮殿型の厨子とその前に鏡が安置されている他、もう一つ厨子が祀られている。案内板なども用意され、よく整備されている。
 元旦や祭例の時には社の戸が開けられ、ご住職がお経を上げられるという。御神体は秘仏。御尊顔を拝することは残念ながらできない。

大熊杉山神社

 熊野社が合祀された大熊杉山神社の創立は由緒不明だが、『風土記稿』には石の不動のような坐像を神体としていたとある。大熊の小高い台地上にあり、周囲の畑の中にいかにも鎮守の森といった威厳で鎮座している。現在の祭神は主神に日本武尊をすえ、配祀に伊弉諾命・伊弉冊命・天御中主命(熊野社)・稲田姫命(御岳社)・面足命(面足社)・天照皇大神(神明社)を祀る。昭和四年『都田村誌』によると、祭神・日本武尊、配祀に伊弉冊命・事解男命・速玉男命・稲田姫命・面足命とある。現在も熊野社の神々は祀られており、大熊熊野社の神々は現在長福寺と杉山神社の2ヶ所で祀られている事になる。

大熊杉山神社の遠景

大熊杉山神社社号碑

 境内社に稲荷八坂合社があり、大木の多い境内には公園や公民館もあり、地区の人々に親しまれている。ちなみに杉山神社という社号を持つ神社は延喜式にも所載されており、南武蔵に数多く存在する。五十猛命や日本武尊を祀り、古代豪族の忌部氏が開拓神として祀ったとも言われているが、本社がどこか不明であるなど謎の多い神社である。

 大熊は古くからの村名で、現在そのほとんどが大熊町だが、長福寺近辺などが仲町台になっている。川がおおきく曲がって流れる様を古語で「あふくま」というといい、確かに大熊川は大きく曲がって鶴見川に注いでいる。また蛇谷という蛇のように曲がった谷という意味の小地名もあったという。長福寺周辺は開発が及んでいるが、杉山神社の辺りはまだまだ牧歌的な雰囲気の残る町である。長福寺から杉山神社まで歩けばいい散歩になろう。
 ちなみに新栄高校南側交差点の西側にかかる橋を将門橋という。切通し状に作られた新道を跨ぐ新しい橋であるが、開発公団が熊野社の伝承からつけた名である。開発公団もなかなか粋なことをしてくれたものである。

 末筆ながら突然の訪問にもご親切に対応してくださった長福事ご住職と奥様には厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

Thanks 日照院さん

2004.2.11 UP
No.203

 

神奈川県横浜市都筑区仲町台

読み方:かながわけん よこはまし つづきく なかまちだい

郵便番号:〒24-0041

横浜市HP

横浜市 - Wikipedia
横浜市(よこはまし)は、関東地方南部、神奈川県の東部に位置する都市で、同県の県庁所在地。政令指定都市のひとつ。日本の市町村で人口が最も多く、神奈川県内の市町村で面積が最も広い。旧武蔵国と旧相模国の一部。

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