■ 全国熊野神社参詣記

 み熊野トップ>全国熊野神社参詣記>京都府の熊野神社

 高坂さんから投稿いただきました。ありがとうございます。
 高坂さんのHP「丹波の神社」はこちら


熊野神社

熊野神社拝殿

京都府南丹市園部町黒田

御祭神:須佐男命
例祭:九月十八日

熊野神社一の鳥居
一の鳥居

●由緒

『創祀年代は不詳、一に天文四年(一五三五)というがそれより古いであろう。中世、熊野修験道山伏の信仰がうかゞえる。天文年間黒田城主森氏の崇敬厚く、延宝二年再建の棟札に本地仏として彌陀、釈迦、薬師の三尊を祭るとあり、本殿規模は小さいが細部の彫刻は華美精巧で地方まれに見るもの。拝殿は江戸中期の建築と見られ、特に宮座籠堂形式にして規模雄大、籠堂内板壁に墨描する本殿建築指図(設計図)は天保年間の檜皮師の楽書墨描と共に民俗建築資料として貴重なもので拝殿建築と併せて保存保護を要する文化財ともいえる。本殿流造御鞘、拝殿切妻造茅葺(上層部色鉄板葺)板間、向って右側籠堂形式板壁一部上障机形式(民俗建築文化財)宝物、鏡、本殿建築指図一面(板)(拝殿内壁板墨描)。元村社。特殊神事としてご祈祷(但し例祭日)九月十八日古来より祭礼日とする。』

(京都府神社庁船井郡支部篇『船井郡神社誌』昭和四十七年)

熊野神社参道

●参詣記

 船井郡園部町黒田に鎮座する熊野神社です。園部川沿ひにある黒田の集落の最も奥まつたところ、観景寺の右側の細い山道を入ると一の鳥居があります。そこから山中深く長い石段を登つて行くと二の鳥居があり、社殿が見えます。石段・参道に沿つて細い谷川が流れてをり、その源流の湧き水がそのまま手水舎になつてゐます。昼でも薄暗く一人で参拝するには恐ろしいやうな神域ですが、境内は黒田の鎮守様としてしつかりと守られてゐる様子が伺へました。

 ここは中世には戦国武将森氏の居城でした。山中には黒田城の遺構が残つてゐますが、一の鳥居のある参詣口の辺りが大手であつたと推定されます。黒田は中世には北野天満宮の荘園であつた舟井庄の一部でした。森一族は南北朝時代には足利氏に仕へてゐたやうですが、その後丹波国に土着して北野社領舟井庄の荘官になり、そこから成長して戦国武将になつたものと考へられます。天正六年、明智光秀の丹波攻めで落城。その後の森一族は豊臣氏に一族の再興を託して転戦して行きましたが、武門としては滅びました。今も黒田には森といふ名字が多く見られますが、一族郎党の末裔が帰農したものでせうか。

 平成二年、黒田船阪工業団地の造成に伴ひ、熊野神社のすぐ近くから高さ5.5メートル、全長52メートルの最古級(四世紀初頭)の前方後円墳が発見され、多数の出土品が出てゐます。その年代と規模から、被葬者はかなりの勢力を持つた豪族であつたと考へられます。

(主要参考文献 園部町総務課『広報そのべ 縮刷版』平成二年)

熊野神社二の鳥居
二の鳥居

Thanks 高坂さん

2004.9.27 UP
No.255

 

京都府南丹市園部町黒田

読み方:きょうとふ なんたんし そのべちょう くろだ

郵便番号:〒 622-0052

※旧船井郡園部町黒田
(ふないぐん そのべちょう くろだ)

南丹市 - Wikipedia
南丹市(なんたんし)は、京都府中部の丹波地方に位置する市である。
2006年1月1日に船井郡園部町・八木町・日吉町、北桑田郡美山町が合併して誕生。2007年の木津川市誕生までは、府内で一番新しい市であった。京都府内で新市の誕生は2004年の京丹後市以来となる。
なお、南丹は丹波の南が語源で、市内における市役所以外の施設として京都縦貫自動車道の「南丹パーキングエリア」や、八木町にある「公立南丹病院」、京都府庁の機関「南丹広域振興局」がある。京都府立南丹高等学校という高校もあるが、この高校は亀岡市内にある。
また、八木町(亀岡MA、市内局番40番台)と八木町以外の区域(園部MA、市内局番60、70番台)間相互通話は市外扱いになるため、市外局番(0771)が必要である。
2007.7.10 03:26 の版より)

楽天おすすめ


み熊野トップ>全国熊野神社参詣記>京都府の熊野神社