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「佐渡水難実記(さどすいなんじっき)」と熊野社

そまの投稿。

 佐渡の熊野神社のことを調べていたら、明治30年に全島的な大水害があったことを知りました。佐渡の僧侶・本莊了寛氏の「佐渡水難実記」がwebに公開されています(挿絵・土田麦僊)。大正2年7月15日発行、本莊了寛著(ほんじょうりょうかん・新潟縣佐渡郡金澤村)。その中で新穂長畝には熊野川、熊野橋、 熊野社があったことが記されています。

長畝村 瓜生屋川は新保北方を過ぎ、長畝の地先を流るゝ間を熊野川と云ふ、此に架したる熊野橋の東畔か七日十一時頃十七八間北へ切れ、一度に押し出す水は長畝沖へ氾濫し、流來る瓜生屋橋も此口より田地へ押し出し、殊に吐き出したる土砂は夥しく、新穂町本間半四郎、瓜生屋高野甚内等の田地に、四つの砂山を築くに至れり、扨此破堤引續き彼の新穂河原町の上なる閻魔堂の堤防を破壊し潮の如く押し來る水は長畝(六十町餘、熊野橋より前畔迄)に充滿し、前畔とて高七八尺の堤防を乗り越へ、遂に其中央なる堂の畔と云ふ處を七八間も破堤し、水畫く宇島の横より水渡田沖へ出てゝ、洞丸川吉井川等の裾へ落込みたり。

尚記しおかん前畔とは、長畝沖の惡水を本川熊野川へ抜かす爲に、外谷地川と云ふ江川あり、この堤防を名けしものにて、其中央破壊の處は一時深さ三丈もありしと云ふ、池となり殘れり、此洪水に本川熊野川は河身は、凡そ六尺も埋まりし爲め其水却て外谷地川へ逆流するより、止むなく其口を塞くに至れり、故に其後三十二年三十八年等の洪水には、長畝沖は七八尺の湛水となり、兩度とも免租を出願するに至り、且此邊堤防兼道路は、年々川より堀揚ぐる土砂の爲に、丸で通行ならず遂に一大工事を施さゞるを得ざる有様なりし、此に又瓜生屋川を、長畝地先は熊野川と云ふは長畝の鎮守熊野社は、古え此川畔にありしものとて今に小祠殘れり、是等の譯より其名あるに至りし者とぞ、一説に熊野川は古へ今の鱒川を通りたりと云ふ、又島の前手に宇古川と稱する田地ありて此邊を通りたりとも云ふ、察するに是等の分流を、天明度に皆今の新川に合せ、其爲め百間乗越しに定石を伏せ滿水の時は此より沖へ洩し、下の堤防を害せざる様にせし者なるべし。

「佐渡水難実記(さどすいなんじっき)」(第八 相川西濱及び國仲地方 132~133pより)

新穂には新穂青木新穂武井に熊野神社が現存しますが、新穂長畝は宝暦年間の「佐渡国寺社境内案内帳 下巻」に記載のある白山権現社(社人 喜左衛門)の項に「ほかに熊野権現有之候由」と記されています。佐渡水難実記の「今に小祠殘れり」とある熊野社は白山権現社(現・白山神社)に合祀されているのでしょうか。水難実記の熊野社がどちらにお祀りされているか、ご存知の方、教えていただけましたら幸いです。

 白山神社鎮座地:新潟県佐渡市新穂武井329 いつもNAVI Google マップ

(そま)

No.1312

2010.9.8 UP
2021.4.6 更新

参考文献



新潟県佐渡市新穂武井

読み方:にいがたけん さどし にいぼたけい

郵便番号:〒952-0111

佐渡市HP

佐渡市 - Wikipedia
佐渡市(さどし)は、新潟県の北西、日本海に浮かぶ佐渡島全域を市域とする市。
2004年3月1日、佐渡島内の全市町村(両津市、相川町、佐和田町、金井町、新穂村、畑野町、真野町、小木町、羽茂町、赤泊村)が合併して発足した。人口は約6万人で市役所は旧金井町にある。市章は佐渡島の形と佐渡市の頭文字「S」を図案化したもの。
かつて流刑地であったことから、独自の文化が発達している。