kokoroさんから投稿いただきました。
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熊野神社

【鎮座地】滋賀県草津市平井町180
【主祭神】速玉男神、熊野橡樟日命、事解男神
【神 紋】向い八咫烏 【例 祭】5月1日

 草津川を始めとする河川がつくった沖積平野が、琵琶湖まで数km続く土地の中央部に鎮座している。社地の付近には葉山川とその支流が流れており、旧東海道の草津宿も近い。地誌的には、河川と交通の交点となった地域と言えるだろう。湖東地方の沖積平野は、その多くが田圃となっているが、社地の周りはJR草津駅の北1kmほどのところなので、宅地化が進行中である。

 神社の入り口に立つと、奥行き深く、清楚で端正な佇まいが見て取れる。境内に多い木立は、住宅地の一画にそこだけ森が残ったという感じだ。石鳥居をくぐれば、参道がすっと延びて神門のところまで届き、神門を抜けると、明るく広いスペースがあって、拝殿と本殿がある。この間、参道は屈曲せずに社殿へとアプローチする。拝殿は、湖東と湖南地方に多く見られる舞殿様式のもので、南面する本殿は一間社流造である。『志賀県神社誌』によると境内地は2150坪あり、住宅地の神社としては、格別な広さだ。

 当社の社伝を引用する。
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 明細帳によれば創祀年代不詳であるが、社伝によれば建保6年(1218年)佐々木信綱が紀伊熊野権現を勧請したとされ、のち応仁の兵乱により社殿焼亡し、神領も掠められ荒廃したが、天正年中、平井加賀守源基綱が社殿を再建したと伝えられる。
 境内に薬師堂・観音堂現存する。明治4年熊野神社と改称し、同9年村社に列す。
『志賀県神社誌』P184

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 大正15年の『近江栗太郡志』巻4によれば、境内にあるこの薬師堂と観音堂には、本尊の聖観音をはじめ、6体の仏像があり、藤原期のものという。これらの仏像が、当社の神宮寺にあったものとすれば、「当社の鎮座も建保以前なるべきを思ふ(同書P566)。」

 この神社で注目されるのは、平安末期頃のものと推定される、古式庭園の遣水(やりみず)の遺構が、境内に埋没していることだ。
 神社の入口から神門まで延びる参道の西側は、灌木と笹が生い茂った藪となっているが、その中に、水の溜まった溝が幾条も認められる。ほぼ幅を変えないまま、真っ直ぐに延びているものもあれば、クランク状に折れ曲がる部分を持ち、場所によって幅を変え、広いところは池と言った方がよさそうなものもある。これらの溝の向きは、参道の向きとほぼ平行だが、こうした溝の痕跡は社殿の背後にもあり、こちらは参道の軸線と垂直に交わっている。
 現在、拝殿の周りは広場であり、その地面は平坦だが、おそらく、参道の西側の溝と本殿の背後の溝を繋ぐ部分がここに埋没しているだろう。全体のプランを確認することは難しいものの、これらの溝は、ただの水路とは明らかに異なる複雑な構成をもっており、この神社にとって何か特別な意味を持つと思われる。


平安末期の遣水の遺構と思われる溝

遣水の遺構がある藪

 これと同種の遺構は、兵主神社(野洲郡中主町五條)、二ノ宮神社(野洲郡中主町西河原)、天神社(草津市川原町)、老杉神社(草津市下笠町)で確認できる。いずれも幾筋かの水路が神社境内に認められ、それらは社殿の手前では参道の軸と平行して走るが、社殿付近では軸線と垂直に交わる。
 このうち、兵主神社と二ノ宮神社のそれは、発掘調査の結果、平安末期に築造された古式庭園のものであり、溝状のものは平安期のそれによく見られる遣水の遺構と判明した。兵主神社のそれについては、『祭祀遺跡 平安期の神社庭園』で、平面図とともに調査結果が紹介されている。

 二ノ宮神社のそれは、参道と平行して走る遣水が二重三重になっている等、その構成が熊野神社の藪の中で確認した溝状の遺構と酷似している。したがって、熊野神社のそれも、おそらくこれと近い時期に造られた、古式庭園の遣水と考えて間違いなかろう。二ノ宮神社にあった看板によれば、遣水から出土した土師器のうち、もっとも古いものは12〜14世紀前半のものだったという。

 これらの遣水の特徴の第一は、いずれも神社の境内にあることで、しかも社殿と参道の軸線を強く意識し、それを有機的に取り巻いて、構成の妙を感じさせる。単なる観賞のための庭園とは思えず、神社祭祀と密接に関わっていたと推測できよう。

 こうした遣水を伴う神社は、それじたいが特殊なものだが、県内で私の見聞した範囲では、草津市と中主町の中部地域のみに鎮座するもので、他の場所では確認できない。拡散性のないこうした分布の仕方も奇異だが、時代的にも、古式庭園に属する珍しいものとして、注目できよう。熊野神社の遣水遺構は、そうした中でも、規模が大きく、保存状態も良好そうである。平安末期の神苑遺構を伴う全国でも珍しい神社として、神祇史、庭園史等から見て貴重といえる。

Thanks kokoroさん

2003.3.14 UP
No.172