新宿の総鎮守
かりんさん
新宿中央公園内にある熊野神社・・・・・こんなど真ん中に熊野神社があったなんて・・・・
知ってる人は知ってるんだろうけれど中央公園も初めて訪ねたし(右端画像:都庁)
桜も満開だし春♪春♪って感じがでてとっても気持ちがよかった!
残念なのが昨晩の宴会のあと・・・
見たくなかったので中央公園の散歩はやめにしちゃった(^^ゞ
左画像は正面の鳥居じゃないんだ・・・登ってから気がついた(^^ゞ
鳥居をくぐり左手には手を洗う場所があるんだけど、どこにでもあるように
龍の口から水が・・・・・じゃないんだ。水がでてないんだ・・・・近寄っていくと
あ!水がでた!これってセンサーだ!ハイテクだ!凄い!!
暫く出たり入ったりセンサーを確認してました(^^ゞ
新宿、都庁の近くだから外国からの観光客の人も写真撮影に精をだしてましたね^^
本殿に参拝して「新宿ミニ博物館」のパンフレットを手にし歴史を読んでみる。
十二社と熊野神社の歴史
十二社の熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1426)に中野長者と呼ばれれた、鈴木九朗が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祀ったものと伝えられます(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・永禄年間(1532~69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祀ったともいいます。)
鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祀官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九朗の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。
九朗はこの地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祀りました。その後鈴木家では、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祀ったといいます。
江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。
また、享保年間(1716~35)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。
明治維新後は、現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。
氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となってます。
十二社の碑
(新宿指定史跡)
ここ十二社の地が、池や滝を擁した江戸西郊の景勝地であることを記した記念碑で、嘉永4年(1851)3月に建てられました。
大田南畝の水鉢
(新宿区指定有形文化財)
文政3年(1820)奉納された水鉢で、江戸時代後期の狂歌師として有名な大田南畝(蜀山人)(1749~1823)の書による銘文が刻みこまれています。
文政3年の熊野神社の祭礼には、大池で角乗・筏乗がでるほど盛大なものでしたが、この水鉢もその祭りに奉納されたものと思われます。
(かりんさん)
TATSUさん
天気がよかったので新宿の熊野神社を買い物がてら訪ねてみました。
すでにかりんさんから報告されていますが、今日は狛犬の報告です。
本殿裏の末社「大鳥三社」にある狛犬で、腹の下がくりぬきになっていないものです。
享保十二年(1727)の作です。東京都内の狛犬の中ではかなり古いほうだと思われます。
十二社(じゅうにそう)の熊野神社は、室町時代、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄であった鈴木家が、故郷である紀州の熊野三山より十二社権現をうつし祠ったと伝えられています。
江戸時代には、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑ったとのことです。
(TATSUさん)
2006.12.8 UP
(かりんさん&TATSUさん)
No.04
(てつによる追記)
十二社熊野神社については熊野の説話の「新宿起源伝説」もぜひご覧ください。
2006.12.8 更新
2023.10.3 更新