管理人てつ自らの参詣記。


金刀比羅神社

鎮座地:和歌山県西牟婁郡白浜町中字鳥之倉1702番地

 JR紀伊富田駅から2kmくらい行った、「権現平」と呼ばれる、
海に迫った小高い山の上の平坦地に鎮座します。
 本宮に鎮座する以前に熊野権現が鎮座したと伝えられる神社です。

熊野権現は、いったん権現平に鎮座したが、海の近くで波の音がやかましいので、
静かな場所を求めて、山越しに日置川を遡った。
日置川町三舞の「追ケ芝」で鎮座しようとしたが、
ここでも波の音が聞こえたので、1日留まっただけで、

浪の音聞かずがための山住い 声色(こわいろ)かえて松風の音

と歌を詠み、理想の鎮座地を求めて再び旅立った。
「追ケ芝」は、神様が背負っていた荷物を下ろして休息した場所なので、その名が付けられたという。
また、日置川町田野井の「拝み田」は、山を越して来た熊野権現が休息したときに、
土地の人々がそこから熊野権現を伏し拝んだため、その名が付けられたという。

その後、熊野権現は熊野川と音無川の合流点の中洲に理想の土地を発見し、そこに永住を決めた。

明治時代、熊野には神社合祀令の嵐が吹き荒れましたが、
この金刀比羅神社もじつは合祀され、廃社となっています。
口熊野、和歌山県田辺市に暮らし、神社合祀の反対運動に奮闘した
世界的博物学者である南方熊楠は、
東京帝国大学農学部教授であった白井光太郎に宛てた書簡(『神社合祀に関する意見』)のなかで
金刀比羅神社について次のように記しています。

 また南富田(みなみとんだ)村(現・白浜町)の金刀比羅(ことひら)は、古え熊野の神ここに住みしが、海近くて波の音聒(やかま)しとて本宮へ行けり。熊野三景の一とて、眺望絶佳の丘上に七町余歩の田畑山林あり。地震海嘯(つなみ)の節大用ある地なり。これを無理に維持困難と詐称して他の社へ合祀せしめしも、村民承知せず、結党して郡衙に訴うること止まず、ついに昨年末県庁より復社を許可す。可笑(おか)しきは合祀先の神社の神職が、神社は戻るとも神体は還しやらずとて、おのれをその社の兼務させくれるべき質(しち)に取りおる。しかるに真正の神体は合祀のみぎり先方へ渡さず隠しありしゆえ、復社の一刹那すでに帰り居たまう。燕石十襲(じっしゅう)でこの神主の所行笑うに堪えたり。この他にも合祀の際、偽神体を渡し、真の神体を隠しある所多しと聞く。

(中沢新一 責任編集・解題『南方熊楠コレクションV 森の思想』河出文庫、493〜494頁)

役の行者が祀られた横を通ると、海を眺められる所に出ることができます。
眺めがよく、とても気持ちのよい場所でした。

権現平には他に、かつて桜の名所として知られ、「桜の宮」と称された熊野神社もありますので、
御一緒にお参りされるとよいと思います。

てつ

2003.5.17 UP
No.179