和歌山県本宮町の野竹という集落に伝わるお話。
昔、野竹の里に弥七郎という70才になる爺さんがいた。その弥七郎、急に病気になり、さんざん悶え苦しんだあげく、とうとう意識を失ってしまった。
家族みなで必死に声を張り上げて弥七郎の名を呼んだところ、ややあって目を開いた。
ところが、その弥七郎、言葉も立ち居振る舞いもまるで以前とは違ってしまい、家族のことさえわからなくなってしまっていた。
弥七郎の言葉が近江の国の木地師の使う言葉だとわかったのはそれからしばらく経ってのことだった。
しばらくして、弥七郎が意識を失ったのと同時刻に、野竹から奥へ入った山の中に住んでいた木地師が急死していたことがわかった。この木地師の名も弥七郎といった。
二人の弥七郎が同時刻に死に、あの世へ旅立とうとしていたときに野竹の弥七郎の家族が懸命に弥七郎の名を呼んだので、木地師の弥七郎の魂が間違って野竹の弥七郎の体に入り、よみがえったのだろうと、近親の人々は話し合ったという。
いまから二百数十年前の元文年間(1736〜1741)に実際にあった話だそうです(『紀伊続風土記』野竹村の条)。
この話では木地師の弥七郎の魂だけがこの世に戻ってきましたが、二人の魂の両方ともがこの世に戻ってくる話もあります。
野竹の弥七郎は、酒も飲まない、賭け事もしないという真面目一本の働き者だったが、気が弱い男だった。
一方、木地師の弥七郎はというと、大酒飲みの乱暴者であった。
野竹の弥七郎が意識を失ったときも、木地師の弥七郎は酒を飲み、酔って眠りこんでいた。
野竹の弥七郎は意識が回復してからというもの、大酒飲みの乱暴者になってしまい、その一方で、木地師の弥七郎のほうは人前では口もきけないような気の弱い男になってしまった。
意識を失った野竹の弥七郎の体から抜け出した魂と酒を飲んで眠りこんだ木地師の弥七郎の体から抜け出した魂とが入れ代わったに違いないと村人たちは噂したという。
『今昔物語集』には次のような魂の入れ代わる話が収められています(巻二十第十八話)。
今は昔のこと、讃岐の国、山田の郡に一人の女がいた。
この女、重い病にかかり、死を免れようと、門の左右に御馳走を祭って、疫病神に取り入ろうとした。
閻魔王の使いでこの女のもとにやって来た鬼は、ついついこの門に祭ってある御馳走を食べてしまう。
そこで、この鬼は女に、「御馳走のお礼したいが、同姓同名の人を知らないか」と尋ねた。
女はすかさず、「鵜足の郡に同姓同名の女がいる」と答える。
そこで、鬼は鵜足の郡の女を殺し、冥土へ引き連れていき、山田の郡の女を生き返らせた。
鬼が閻魔王の前に鵜足の郡の女を連れていくと、閻魔王はすぐに気づき、「これは違う。山田の郡の女を連れて来い」と命じた。
鬼は仕方なく山田の郡の女を引き連れて来た。
「この女だ。鵜足の郡の女は返してやれ」と、閻魔王。
ところが、鵜足の郡の女の体はもう火葬にされてしまっていて、入るべき体がなくなっていた。
鵜足の郡の女は冥土に引き返し、閻魔王に訴える。
そこで、閻魔王、山田の郡の女の体はまだ残っていたので、鵜足の郡の女に山田の郡の女の体に入るようにさせた。
鵜足の郡の女は山田の郡の女の家で山田の郡の女の体で生き返った。山田の郡の女の父母は喜んだが、女は自分の家は鵜足の郡にあると家を出ていく。
鵜足の郡の家では見知らぬ女がやって来て、ここが自分の家だというので、事情を聞き、生前のことを問いただしてみると、確かに自分たちの娘である。鵜足の郡の父母は、体は違うが、魂は確かに娘であると、女を可愛がった。
また、山田の郡の父母もやはり、魂は違うが体は自分たちの娘だと、女を可愛がったので、女は両方の父母に養われ、両家の財産を得た、という。
おもしろいお話です。実際にこんなことがあったのかもしれませんね。
本宮町の話に戻りますが、実際に今のお年寄りが子供の頃は、死にかけた人がいると、その人の名を大声で呼び、魂を呼び戻そうとしたそうです。それで生き返った人もいたということです。
また、山奥で事故死した人などは、その人の名を呼んで里の家まで連れて帰らないと、障りがあるからといって「おお−い、◯◯よー、戻るぞ−、ついてこいよ−」と大声で呼びかけながら連れ帰ったそうです。
(てつ)
2010.7.25 更新
◆ 参考文献
中村浩・神坂次郎・松原右樹『日本の伝説39 紀州の伝説』角川書店
佐藤謙三校注『今昔物語集 (本朝仏法部上巻)』角川ソフィア文庫
福永武彦訳『今昔物語』ちくま文庫
近畿民俗学会『近畿民俗叢書 熊野の民俗―和歌山県本宮町―』初芝文庫
『紀伊続風土記』臨川書店
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