■ 熊野の観光名所 |
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◆ 妙法山阿弥陀寺(みょうほうさんあみだじ) 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町南平野2270-1 |
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女人高野、那智妙法山
那智三峯のひとつ、標高749mの妙法山。その山頂近くに建つ妙法山 阿弥陀寺。弘法大師空海が創建したと伝えられる真言宗の古刹です。 弘法大師は高野山開創の前年(815年)、那智を訪れ、那智の山中や滝で修行し、妙法山の山頂に卒塔婆を立てたと伝えられ、また阿弥陀如来像を彫られたとも伝えられます。 女人禁制の高野山の代わりに女性が多く参詣したので、女人高野と呼ばれました。熊野古道最大の難所、本宮へ向かう「大雲取越え・小雲取越え」の出発点でもあります。 亡者の熊野参り
「亡者の熊野参り」といい、人が死ぬと、その魂は、枕飯3合炊く間に、枕元に供えられたシキミを1本持って、この寺を詣で、釣鐘をひとつ、つき、そして、持ってきたシキミを妙法山山頂に建つ奥ノ院・浄土堂に供え、それから大雲取越えの山路を歩いていくといわれます。 阿弥陀寺の鐘は人陰もないのに、時折、かすかな音を立てるといわれ、また、死者が供えたシキミのために奥ノ院付近はシキミが生い茂るようになったと伝えられます。
奥ノ院・浄土堂へは、大師堂(室町時代、永正6年(1509 )建立)を経て、山道を20分ほど登ります。 日本最初の焼身往生の場
火定とは、生きながらに身を焼き、浄土へ往生することをい、応照上人の火定が、日本で行われた最初の焼身往生だといわれています。 応照上人の火定の有り様は『大日本国法華経験記』に以下のように記されています。
この日本最初の焼身往生が行われたのがこの石囲いの場だということです。 死出の山路阿弥陀寺から本宮へと続く「大雲取越え・小雲取越え」の道は、「死出の山路」と呼ばれ、その道中には「亡者の出会い」と名付けられた場所さえあり、道行く人はときに、亡くなった肉親や知人の霊に出会うことがあるといわれます。 阿弥陀寺御本尊阿弥陀如来の御詠歌は、
中世、熊野は浄土の地であると見なされ、熊野(=浄土)に入るには、儀礼的な意味で、いったん死ななければなりませんでした。 ですから、熊野三山の社殿に参詣することはもちろん大切なことだと思いますが、それ以上に、熊野に到るまでの精進潔斎して歩く道中の日々こそが、大切なのだという気がします。 ある目的を求めて行動し、その目的を達成できなかったとしたら、その行動は無駄であったのか。虚しい時間を費やしたことになるのか。結果がすべてと考えるのなら、それはたしかにその通りでしょう。 しかし、目的はその人に進むべき方向を与えるだけだと考えれば、たとえ目的を達成することができなかったとしても、行動そのものが充実していれば、その行動を無駄なものであったと考えることはないのではないでしょうか。 そのようなことも阿弥陀寺の御詠歌は考えさせてくれます。 ◆ 参考文献・参考サイト
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