日本最初の石造灯台
和歌山県串本町大島の樫野埼にある灯台。
案内板より。
樫野埼灯台
明治3年(1870)6月に初点灯。石造り・閃光灯の灯台として日本最古のものである。設計と建設指導はイギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンによって行われた。
灯台のまわりに群棲する水仙は、外国人技師たちが異郷での孤独な生活を慰めるために、本土から取り寄せ、移植したものといわれている。
樫野埼灯台旧官舎。以下、案内板より。
樫野埼灯台旧官舎
灯台守が執務室や住居として使うために建てられたこの官舎は、明治3年(1870)に英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)が日本で最初に竣工させた石造りの歴史的建造物です。
江戸幕府が開国にあたり、慶応2年(1866)の江戸条約により、灯台設置が決められたことに伴い建設されたものであり、首長にブラントンが選ばれ、洋風石造建築として完成しました。ここはトルコ軍艦エルトゥールル号の遭難事件(1890)の際、救助の拠点となったことでも知られ、両国の友好にとっても大切な建物です。2011年3月の修理にあたっては、古い部材を出来るだけ残して昔の姿に再現され、ドアなどの木部には「木目塗り」と呼ばれる珍しい技法が施されています。竣工当時は現在の三角屋根ではなく、四角い箱の形をしていたことが新たに分かりました。また海に面した側の外壁は、航行する船舶から見えやすいように、昔のように白く塗り分けられています。
樫野埼灯台は灯台内部へは入れませんが、外部の螺旋階段から展望台に登ることができます。
リチャード・ヘンリー・ブラントンについてWikipediaより。
明治時代に来日したお雇い外国人のひとり。数多くの灯台設置を手がけ、技師として勤務していた7年6ヶ月の間に灯台26(下記の一覧参照)、灯竿5(根室、石巻、青森、横浜西波止場2)、灯船2(横浜港、函館港)などを設計した。このため「日本の灯台の父」と讃えられている。
リチャード・ヘンリー・ブラントン - Wikipedia
(てつ)
2019.9.18 更新
参考文献
樫野埼灯台へ
アクセス:JR串本駅から車で約15分 串本へのアクセス
駐車場:駐車スペースあり