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◆ 土中黄金仏出現


 『南総里見八犬伝』の作者として知られる曲亭馬琴(きょくていばきん。1767〜1848)が編集した『兎園小説(とえんしょうせつ)』という随筆集があります。
 曲亭馬琴が友人らにはかって、文政8年(1826)に、毎月1回、奇事異聞を書き記したものを披講し、これを回覧するという会を起こしました。兎園会と称したその集まりは1月に始まって12月に終わり、都合12回行われましたが、その会ごとの記事を集めて12巻の書物としたのが『兎園小説』です。

 『兎園小説』の第七集には、「土中黄金仏出現」と題された記事があり、それには熊野本宮での出来事が記されています。記事を書いたのは海棠菴(かいどうあん。関思亮の号。書家の関其寧の孫とあります)で、その記事の後で曲亭馬琴が補足説明を付しています。現代語訳してご紹介します。

土中黄金仏出現

 今年、文政八年乙酉の春、熊野本宮社が堤防を築こうとして、境内の川上にある大黒島という岩山から大石を引き出す。ここで不思議なことがあった。
  石を出す雇夫らが、砂を穿ち盤石を割る間、しばらく休憩しようとそばに寄って休んでいると、巌上の土石が自然に崩れ落ちて止まらない。工人がおのおのの作業をしている間は、土石が崩れることはない。休憩すると崩れる。

 このようなことが数日あって、その春、三月の二十日から数多のカラスがこの場所へ飛んできて人を恐れない。たとえれば腐肉に蝿が集うがごとしである。そうしてこの日から次の日まで、銀器の破片と見えるものを数片掘り出した。そうしてまた二十二日至っては、カラスがますます集まって、空中に飛びめぐって、羽をたたきクチバシを鳴らし、ほとんど人の頭上をついばもうとする勢いなので、心弱い雇夫らは逃げ走ってこれを避け、勇ましい者どもは怪しみ疑いながらもそのままに土石を穿つと、その日ももう正午になったころ、土中からひとつの瓶が現われ出た。

 今の世に見慣れない様子の器であるので、人がみな寄ってこれを見ると、その瓶に以下のような彫った文字があった。

熊野山如法経銘文
大般若一部六百巻
  白瓶箱十二合
  箱別五十巻
保安二年歳次辛丑十月日
  願主沙門良勝
  檀越散位秦親任

 この瓶の中に黄金で造った円龕(えんがん。円柱形の、仏像などをおさめる入れ物)が一個あった。その図、下のごとし(図略)。この金龕のふたを開いて見ると、内に 浮檀金の阿弥陀仏の尊像一体を納めてあった。御丈七寸。愛愍接取の慈眼があざやかで、瑞厳殊勝の妖相が尊く拝まれ、みなは奇異に思った。

 先に得た白銀の器とおぼしきものは、破片をすべてをそろえることはできなかったが、取り集めて重さを量ると、八百目以上あった。この度、紀州藩から修理の宰としてここに来ていた官吏の石井伝左衛門という人は、これを得て藩主に奉り、命を請おうと秘襲して(?)、その月の二十四日に本宮を出発して府に帰った。

 右の一説は藩に縁のある友人の一人に得た。

文政八年乙酉孟秋朔

海棠菴思亮 記

調べたところ、保安二年(1121)鳥羽院の御ときで、藤原忠通公関白のときのことである。文政八年乙酉まで七百七年を経ている。
(檀越(だんおつ。施主)のことであるが)当時秦氏の人に高位の者があるとは耳にしない。散位のことは様々な説があるけれども、位の高卑にかかわらず、冠位があって官職がないのを散位というと、私は思っている。なお職事家に尋ねよう。秦氏は忌寸(いみき)の姓で秦の始皇帝の後裔という由が姓氏録諸藩の譜に見える。親任という名について思うに、土佐の長曽我部などの上祖ではないか。しかし確かな証拠もないので、なんとも言いがたい。
当時、熊野別当は勢いある者であったと耳にする。熊野別当湛増(たんぞう。第21代熊野別当) が為義の婿になったのは、これより少し後のことである(※ 源為義の婿になったのは、湛増ではなく湛増の父 湛快(たんかい。第18代熊野別当)。湛増は頼朝や義経や義仲とは従兄弟になります)
良勝はどこの沙門か。これも熊野の別当か(※ 歴代の熊野別当に良勝の名はありません)。なお考えるべし。〔著作堂主人追記(著作堂は馬琴の別号)。〕

 本宮旧社地の熊野川向こうの対岸の備崎(そなえざき)には、尾根に沿って大峰奥駈道が通り、尾根筋から本宮旧社地に面した斜面には多くの経塚が発見されています(備崎経塚群)。
 経塚とは、仏法が滅んだ後の世のために、経典や仏像を地中に埋納し、弥勒菩薩が出現するという五十六億七千万年後のはるか未来にまで保存する目的で造営された仏教遺跡のことです。
 ですから、きっと「備崎」という地名も、仏法が滅んだ後の世の弥勒菩薩出現に「備える」という意味でつけられたのでしょうね(「崎」は突き出たところという意味)。

 文政八年に発掘された阿弥陀如来像を納めた円龕(金ではなく青銅製)と銘文の刻まれた陶製の外筒は、現在、東京国立博物館に所蔵され、国宝に指定されています。

(てつ)

2005.9.30 UP
2010.8.7 更新

 ◆ 参考文献

日本随筆大成編輯部 編集『日本随筆大成〈第2期 第1巻〉』吉川弘文館

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