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三輪の崎・狭野

和歌山県新宮市三輪崎、佐野

 「三輪の崎(みわのさき)」と「狭野(さの。佐野とも)」。所在未詳でいくつか説があるようですが、和歌山県新宮市内にある三輪崎(みわさき)および佐野ではないかと考えられます。
 また、三輪崎の海岸近くの孔島(くしま)という小さな島は、浜木綿(はまゆう)の群生地として知られています。

「三輪の崎」が登場する歌 「狭野(佐野)」が登場する歌

三輪の崎(みわのさき)

『万葉集』より2首

1.長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌。

苦しくも降り来る雨か 三輪の崎 狭野の渡りに家もあらなくに
(訳:困ったことに降ってくる雨だ。三輪崎の佐野の渡し場には、雨をしのげる家もないのに)

(長忌寸意吉麻呂 巻第三 雑歌 265・新267)

 長忌寸意吉麻呂は、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)・高市黒人(たけちのくろひと)とともに、万葉第二期を代表する宮廷歌人です。
 この歌は『新勅撰和歌集』羇旅に「読人しらず」として入集。
 長忌寸意吉麻呂のこの歌を本歌として、のちに藤原定家が歌を詠んでいます(後述)。

2.作者不詳の歌。

三輪の崎荒磯(ありそ)も見えず波立ちぬ いづくゆ行かむ 避き道(よきじ)はなしに

(訳:三輪の崎の荒磯も見えないくらいに波が立ってきた。どこを通って行こうか、避けて通る道もないのに)

(巻第七 雑歌 1226・新1230)

 「三輪の崎」を大和国とする説もあるようですが、磯とあるからには海岸沿いの地名でなければならないでしょう。

狭野(さの)

『万葉集』より1首

 「三輪の崎」の所でも取り上げた長忌寸意吉麻呂の歌。

苦しくも降り来る雨か 三輪の崎 狭野の渡りに家もあらなくに

(訳:困ったことに降ってくる雨だ。三輪崎の佐野の渡し場には、雨をしのげる家もないのに)

(長忌寸意吉麻呂 巻第三 雑歌 265・新267)

 長忌寸意吉麻呂のこの歌を本歌として、のちに藤原定家が歌を詠みました。

『新古今和歌集』より1首

 その藤原定家の歌。

   百首歌たてまつりし時

駒(こま)とめて袖うちはらふかげもなし さののわたりの雪の夕暮(ゆふぐれ)

(訳:駒をとめて袖に積もる雪を振り払う物陰もない。さのの渡し場の雪の夕暮れよ)

(定家朝臣 巻第六 冬歌 671)

 長忌寸意吉麻呂の「苦しくも降り来る雨か 三輪の崎 狭野の渡りに家もあらなくに」を本歌とした歌。
 定家はこの歌を空想で詠んだのでしょう。美しいイメージは浮かぶのですけれど、本歌のもつ臨場感がないような気がします。長忌寸意吉麻呂の歌のほうがはるかに人の心に訴えてくるものがあるように思います。

『金槐和歌集』より1首

 『金槐和歌集』は源実朝(みなもとのさねとも)の家集。この歌も長忌寸意吉麻呂の歌の本歌としています。

涙こそゆくへも知らね 三輪の崎 佐野の渡りの雨の夕暮

(訳:あてどなく涙が溢れてくる。三輪の崎の佐野の渡し場の雨の夕暮れ)

(恋 499)

『再昌草(さいしょうそう)』より1首

 『再昌草(さいしょうそう)』は室町時代の歌人、三条西実隆の日次詠草集。これもやはり長忌寸意吉麻呂の歌の本歌とする歌です。

   渡雁

秋寒し佐野の渡りの小夜時雨(さよしぐれ) 旅なる雁は家もあらなくに

(訳:秋は寒々とする。佐野の渡りの夜の時雨に旅する雁は家もないことだのになあ)

(大永四年 193)

歌碑

 新宮市の三輪崎から佐野にかけての海岸沿いにある黒潮公園にはこれらのうちの幾首かの歌の碑が建っています。
 また、三輪崎の海岸近くの孔島(くしま)には、柿本人麻呂の「み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思へど 直に逢はぬかも」(『万葉集』巻第四 496・新499)の歌碑もあります。

(てつ)

2003.3.8 UP
2003.5.10 更新
2019.12.12 更新

参考文献