源実朝の熊野関連の歌
源実朝像(『國文学名家肖像集』収録)
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源実朝(みなもとのさねとも、1192~1219)。
鎌倉幕府三代将軍。源頼朝の二男。母は北条政子。
建仁3年(1203)、兄頼家(よりいえ)が殺害されたため、11歳の実朝が後を継いで征夷大将軍になります。
しかし、政治の実権は北条氏が握っているため、実朝は武家でありながら、御鳥羽院や宮廷文化に憧れを抱き、藤原定家に歌を学び、歌道に励みました。
建保7年(1219)1月、右大臣昇進を鶴岡八幡宮で祝う席で、頼家の子・公暁(くぎょう)に暗殺され、27歳の若さで死亡。これにより源氏の将軍は三代で絶えてしまいました。
歌人としての実朝は、鎌倉時代の歌論書『愚見抄』で、定家が「おそらくは人麻呂、赤人をもはぢ難く、当世不相応の達者と覚え侍る(おそらくは人麻呂・赤人にも劣らぬ当世不相応の達者であると思われる)」と評したと書かれるほどに優れ、その万葉調の歌は、後世、賀茂真淵や正岡子規、斎藤茂吉らによっても高く評価されました。
実朝の家集『金槐(きんかい)和歌集』には熊野関連の歌が幾首か見えますが、実朝が熊野を詣でたという記録は見当たりません。
『金槐和歌集』より5首
1.ホトトギスの鳴き声を神への祈りに見立てた歌(夏 142)
社頭の時鳥
五月雨(さみだれ)を幣(ぬさ)に手向(たむ)けて み熊野の山時鳥(やまほととぎす)鳴き響(とよ)むなり
(訳)社殿の前のほととぎす。五月雨を幣として神に手向けて、熊野の山時鳥が辺りに響くように鳴いている。
2.熊野のご神木である梛(なぎ)の木のことを詠んだ歌(冬 312)
社頭の雪
み熊野の梛(なぎ)の葉しだり降る雪は神のかけたる垂(しで)にぞあるらし
(訳)社殿の前の雪。熊野の梛の葉を重みで垂れ下がらせて降る雪は、神が掛けた垂(しで)であるらしい。
「しで」は注連縄や玉串につけて垂らす紙。
3.恋の歌(恋 499)
涙こそゆくへも知らね三輪の崎 佐野の渡りの雨の夕暮
(訳)あてどなく涙が溢れてくる。三輪の崎の佐野の渡し場の雨の夕暮れ。
三輪の崎は新宮市三輪崎。佐野は新宮市佐野。
4.恋の歌(恋 506)
み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)言はずとも思ふ心の数を知らなむ
(訳)熊野の浦の浜木綿(はまゆう)ではないが、口に出して言う(いう)こともできずにいるが、あなたを思う私の心の丈をあなたに知ってほしい。
柿本人麻呂の「み熊野の浦の浜木綿百重(ももへ)なす心は思へど直(ただ)に逢はぬかも」(『万葉集』巻第四 496・新499)を本歌とする。
5.那智の滝を詠んだ歌(雑 651)
那智の滝のありさま語りしを
み熊野の那智のお山にひく注連(しめ)のうちはへてのみ落つる滝かな
(訳)熊野の那智のお山に引かれた注連縄のように、ただ長々と落ちる滝だなあ。
(てつ)
2003.6.22 UP
2020.1.27 更新
参考文献
- 新日本古典文学大系46『中世和歌集 鎌倉篇』岩波書店