■ 全国熊野神社参詣記 |
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無生太夫さんからご投稿いただきました。ありがとうございます。 |
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熊野神社(御嶽普寛神社境内社)埼玉県秩父市大滝(詳細番地不明)御嶽普寛神社(おんたけ ふかんじんじゃ)の境内社に熊野神社があります。 国道140号線沿いに御嶽普寛神社の社号標が建っています。
橙色の鳥居に扁額が掲げてあります。
鳥居をくぐり境内に参ります。
境内すぐ右に普寛行者についての説明板があります。
大きく立派な社殿です。扁額も豪華です。
社殿は東南を向いていました。 猿が出没するので拝殿は閉めてあるそうです。 開けて参拝しても良いそうです。 社務所の横を通るので許可を取り、埼玉県指定史跡の”普寛行者奥都城”に参ります。
まず橙色の鳥居をくぐると境内社の三峯神社と熊野神社が鎮座をしています。
熊野神社。
白い鳥居の先に普寛霊神の像と奥都城があります。
《 御祭神 》
御嶽大神、普寛霊神、大黒天、不動明王 【参拝の栞】 《 境内社 》
三峯神社、(出世)稲荷神社、熊野神社、意波羅山、水子地蔵 【参拝の栞】 《 合祀社 》
記載なし 《 御由緒 》
”落合”区に鎮座しています。 栞によると、創建年月不詳とあります。 昭和19年に社殿が焼失し、同41年に再建されたそうです。 神道御嶽教を創設した普寛霊神は、旧秩父郡大滝村落合に生まれました。 幼名を好八丸と言い、江戸に上り文武両道の達者となり明和8年(1771年)郷里に帰り、三峯山観音院(現 三峯神社)日照法印の弟子となり天台、真言両宗の奥義を究めたと云います。 その後、名を本明院普寛と改め全国の霊山を巡り木食修行を積み、寛政4年(1792年)至難として顧みられなかった”木曽御嶽山”に登り、王滝口(木曽の王滝村)を開き山頂に神祠を建立したそうです。 (なお、王滝口の名は、生地である大滝村にちなんで付けられ、腹痛の妙薬”木曽百薬”は普寛様が創始したと伝えられています。) 普寛様は享和元年(1801年)故郷におもむく途中、埼玉県本庄市で大往生を遂げたと云います。 《 祭 り 》
例大祭は5月と10月に行われるようです。 全国から御嶽山信徒が集い、式典に続き普寛尊護摩・御焚上祭執行、墓前祭、神賑行事等でにぎわうと云います。 【御嶽普寛神社 参拝の栞】
『大滝村ものしり電話帳』 平成13年 無生太夫さんのブログ記事「御嶽普寛神社」より
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