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1. 神武 三十 辛卯 | 南紀州の郊外に於いて、大きな熊が現れるという、不思議なめでたい兆しがあった。 |
2. 神武 四十八 戊申 | 神武天皇は神倉の宝剣を得て、大和の邪神を伏せた。 |
3. 神武 五十八 戊午 | 熊野に神が降りた。神武天皇は熊野に行幸し、六月に皇師は祭祀神祇を執り行なった。 |
綏靖天皇の時代 | 熊野の記事記載無し |
4. 安寧 十八 庚午 | 切目(※現和歌山県日高郡印南町切目)の後に新宮神倉に神が降臨され、六十年鎮座されてから貴祢谷(※速玉大社末社・鵜殿村の貴祢谷社)に勧請された。 |
懿徳天皇の時代 | 熊野の記事記載無し |
5. 孝昭 五 庚午 | 新宮の東、阿須賀社北の石渕・貴祢谷に社壇を二宇造立し、三所権現を勧請した。 |
6. 孝昭 二十三 戊子 | 新宮・下熊野地に大きな熊が現れる。神倉では三面の月輪が現れる。本願の祖・裸形上人が神殿を造り、これが神倉初の社殿となった。 |
7. 孝昭 二十九 申午 | 九月十五日、十六日に新宮の乙基河原(※速玉大社近く)に貴男貴女が顕現された。これは伊弉諾尊・伊弉冉尊の霊魂であるという。 |
8. 孝昭 五十三 戊午 | 本願の始祖・裸形上人は岩基(※ゴトビキ岩のことと思われる)隈北の新山(※速玉大社の御旅所付近の新飯山であるかと思われる)に於いて霊魂を崇め奉った。これは三所権現である。是に従って新宮の二宇社号が起こる。 十月十八日、本願の祖・裸形上人は、新宮千穂ヶ峯に観音大士の應化身(※迷える衆生を救う為に仏の化身となって現れること)となる。 |
9. 孝安 四十八 丙午 | 熊野新宮が焼失。三所(※三所権現)の神鏡が飛び出して榎の枝に懸かかり、その後、仮殿へ御遷宮の時に人が奉懸しないのに飛び入り給われた。これが遷宮の初めであった。 |
10. 孝霊 六 丙子 | 秦(※中国)の徐福が来朝した。 |
11. 孝霊 癸未 十三 | 天竺から文字が渡る。 |
孝元天皇の時代 | 熊野の記事記載無し |
開化天皇の時代 | " |
12. 崇神 六十一 甲甲 | 崇神天皇は九月に熊野へ行幸された。 |
13. 崇神 六十五 戊子 | 熊野本宮が出現する。 |
14. 垂仁 二十五 丙辰 | 天照大神を伊勢の国・五十鈴川の川上に祠り奉る。これは内宮であった。 |
15. 景行 五十八 戊辰 | 熊野新宮が建つ。 |
16. 景行 五十九 巳巳 | 景行天皇は八月に熊野へ行幸され、牟呂の地を定められた。 |
17. 成務 三 酉癸 | 熊野に大波。浦々の民屋が流された。 |
18. 成務 五 乙亥 | 二月にはじめて諸国の郡境が分けられた。 |
19. 神功 四 甲甲 | 三韓(※高麗・百済・新羅)が征された。 |
20. 神功 十二 壬辰 | 春から夏まで熊野参詣者が多く、野宿する。 |
21. 神功 十四 甲午 | 午王が出現する。熊野新宮が造修され、諸国勧進が行われた。 |
22. 應仁 三十一 庚申 | 應仁天皇は九月に熊野へ行幸された。宝印が発見される。 |
23. 仁徳 五 丁丑 | 熊野那智山に大瀧が出現する。 |
24. 仁徳 五十八 庚午 | 帝は熊野を巡られた。 |
履中天皇の時代 | 熊野の記事記載無し |
反正天皇の時代 | " |
允恭天皇の時代 | " |
安康天皇の時代 | " |
25. 雄略 十七 癸丑 | 8月、熊野に大風。諸々の木がことごとく倒れた。 |
清寧天皇の時代 | 熊野の記事記載無し |
顕宗天皇の時代 | " |
26. 仁賢 九 丙子 | 8月15日、本宮の社壇に烏が多く死ぬ。 |
27. 仁賢 十 丁丑 | 3月・9月に伊勢・熊野詣が多くあった。 |
28. 武烈 五 癸未 | 11月16日の夜、新宮の宮殿で女の泣き声が甚しかった。17日に一山で祈祷する。 |
29. 武烈 七 乙酉 | 3月2日に(※新宮)西中の宮殿が震動。3日に桃花神酒が干上がり、一山で通夜(※徹夜で祈祷)した。 |
30. 継体 四 庚寅 | 春に熊野修営、諸国で棟別に勧進された。 |
31. 欽明 二十四 癸未 |
浜の宮(※現・那智勝浦町)に宮殿(※現・熊野三所大神社)が出現する。 |
32. 欽明 二十五 甲申 | 四月に新宮十二社を遷宮。色川山(※いろかわさん。現・那智勝浦町)に十二社宮を建てる。 |
33. 欽明 二十八 丁亥 | 九月に熊野で洪水、本宮社壇の駒犬(こまいぬ)が流され、新宮社壇に水が入り、浦々がことごとく流された。 |
34. 欽明 二十九 戊子 | 熊野本宮に温泉が出る。 |
35. 欽明 三十一 庚寅 | 新宮境内の池に堀ができた。 |
36. 敏達 三 甲午 | 正月2日、神倉が光明を放った。 |
37. 敏達 四 乙未 | 正月6日、神倉で火祭りが始まる。 |
38. 敏達 九 庚子 | 正月、熊野牛王宝印の加持が始まった。 |
39. 崇峻 四 辛亥 | 熊野牛王が諸国に流布された。 |
40. 推古 三十二 甲申 | 十二月二十日、新宮音無川(※この場合は熊野川新宮付近と思われる)の戌より亥まで、舟数百艘の下る音がおびただしかった。 |
41. 舒明 三 辛卯 | 熊野山に狼が出て、村々に来た。多く牛馬を喰う。 |
42. 舒明 四 壬辰 | 北山、神野、宇井に火の蛇が出た。 |
43. 舒明 十 戊戌 | 熊野鬼ノ本(※現・三重県熊野市木本)の奥に鬼がいて、二鬼、三鬼、八鬼、九鬼という。二志鬼の一流であった。(※定かではないが、二志鬼=丹敷ではないかと思われる) |
44. 孝徳 大化四 戊申 | 新宮の山に蜂が集い、天に至る鳴声(※羽音と思われる)は雷のようであり、集ったのは百数個所を越えていた。 |
45. 孝徳 大化五 己酉 | 熊野山に大猿が来始めた。和林(※熊野の修験行者であった人物)が熊野参詣の人道(※熊野古道大辺路)を作る。 |
46. 孝徳 自雉四 癸丑 | 熊野は4月から7月まで雨がふらなかった。 |
47. 斎明 四 戊午 | 帝は紀州の温湯(※現・白浜温泉)に行幸された。 |
48. 斎明 七 辛酉 | 熊野に大きな猿が集って喰い合い、枝から枝へ飛び、或いは落ちて死んだ。 |
(そま)
2021.10.3 更新
参考文献
- 昭和47年・熊野那智大社元宮司篠原四郎発行『熊野年代記』
- 平成元年・熊野三山協議会発行『熊野年代記』