み熊野ねっと

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50年後を見据えて熊野の観光振興のために今やるべきこと(ロングバージョン)

 

南紀熊野観光塾の課題

南紀熊野観光塾で与えられた課題「50年後を見据えて熊野の観光振興のために今やるべきこと」に対して提出したレポート。トークのための原稿ではありませんが、トークでも使えるように書きました。2014年1月。

 

 熊野は日本にとって特別な場所です。
 50年後を見据えて熊野の観光振興のために今やるべきことは、熊野が日本にとって特別な場所であったことを知らしめること。そして、これからも熊野が日本にとって特別な場所であるようにすること。

 平安時代末期に院政という新しい政治の仕組みを作った白河上皇は熊野を9回詣でました。その後の鳥羽上皇は21回、後白河上皇は34回、後鳥羽上皇は28回。往復1ヶ月くらい掛かる熊野詣を1年に1回くらいは行っています。
 上皇だけでなく、そのお妃さまも熊野を詣でています。鳥羽上皇のお妃の待賢門院璋子が12回、美福門院得子が4回、後白河上皇野のお妃の建春門院滋子が4回、後鳥羽上皇のお妃の修明門院重子が11回。
 それから貴族や武士も熊野を詣でました。平清盛も何度か詣でていますし、重盛維盛も何度か詣でています。清盛の盟友の信西も、西行も。その当時の国を動かす人たち、今で言えば内閣総理大臣や閣僚、官僚のような人たちが何度も何度も熊野を詣でています。

 熊野は日本の宗教の中心地でしたので、本当にたくさんの人々が熊野を詣でました。ですので、日本の文化や歴史に熊野はさまざまな影響を与えています。
 日本の文学を代表するような「平家物語」は熊野信仰を広めるための物語という側面があります。
 「平家物語」の冒頭、巻一には「そもそも平家がこれほど繁栄したのは熊野権現の御利益のおかげであると噂された」というようなことが書かれています。平家物語を語った琵琶法師の総本山は熊野本宮近くにあったと伝わります。

 それから日本各地にある伝統芸能のようなものにも熊野信仰が関係しているものがいくつもあります。
 日本で最初に国の重要無形民俗文化財に指定された愛知県奥三河の花祭は熊野修験が関わっています。やはり国指定重要無形民俗文化財である青森県東通村の下北の能舞も熊野修験が関わっています。
 東北地方では獅子舞のことを権現舞といいますが、獅子頭に熊野権現を勧請して舞って悪魔払いをしたというのが始まりです。

 盆踊りというのは、時宗という鎌倉新仏教が行った踊念仏がその原形だといわれます。時宗の開祖は一遍上人。一遍上人は熊野本宮に籠って熊野権現のお告げを夢で受けて、その結果、時宗という新しい宗派が生まれました。ですので、熊野なしに時宗はないし、盆踊りもなかったということです。熊野が精神的なルーツになっている。
 時宗に関わりを持つ人たちは阿弥号を名乗りました。観阿弥、世阿弥、能阿弥、相阿弥、音阿弥、善阿弥 、千阿弥など。いま名を挙げた人たちは能や茶道、華道などの芸能などで活躍した人々。それらの日本文化に影響を与えた人々の精神的なルーツが熊野ということになります。

 全国には北は北海道から南は沖縄まで熊野の神様をお祀りする神社がおそらく5000社ほどあります。それほど多くの熊野神社が日本各地にあるのは熊野が日本人の心の拠り所であったということです。日本の各地と熊野は繫がっているのです。

 熊野が過去において日本にとって特別な場所であったことを知らしめることが熊野の観光振興のためにやるべきことのひとつです。

 

 もうひとつのやるべきことは、これから未来に向けても熊野が日本にとって特別な場所であるようにすること。

 東日本大震災が起こり、日本の進むべき方向は変わりました。多くの人たちがそれを感じています。
 東日本大震災復興構想会議の特別顧問(名誉議長)をつとめられた梅原猛先生は「熊野から、自然との共存を根底においた生き方、思想を発信せよ」ということをおっしゃられました。生命誌の研究されている中村桂子先生は「紀州が3.11以降の日本再生のリーダーになってください」ということをおっしゃられました。

 熊野は再生の地、蘇りの地と言われますが、ならば、やはり熊野が日本の再生に大きな役割を果たさなければなりません。熊野ならばそれができるだろうと、多くの方々が熊野に期待してくれています。
 熊野には、自然崇拝の痕跡や南方熊楠が守った神社の森など、人々の心を揺さぶる、人々の心を震わせる力のある場所があります。

 また熊野は周囲を海に囲まれ、世界最大規模の海流である黒潮が近海を流れ、日照時間や降水量にも恵まれ、豊かな自然資源のある地域です。その豊かな自然資源を利用した再生可能エネルギーにより熊野を自律分散型の持続可能な地域社会にすること。
 近世に江戸や大坂や東海地方に薪や炭を送る再生可能エネルギーの一大供給地であった熊野こそが、他の地域に先駆けて自律分散型の持続可能な地域社会を実現すること。

 日本が動くとき熊野が動く、熊野が動くとき日本が動く、という言葉があります。日本の歴史が動くとき、その背後で熊野の動きがある。
 闘雞神社の神社名の由来となった、神前での闘鶏による占い。源氏に付けとの占いの結果に従い、第21代熊野別当となる湛増が熊野水軍を出陣させて、平家を壇ノ浦に沈め、平家の世を終わらせ、源氏の世としました。
 そもそも源平合戦の初戦は熊野で行われました。後白河法皇の皇子以仁王が平家打倒の命令書が出してから最初に行われた合戦が、平家方の田辺・本宮、対源氏方の新宮・那智の合戦です。

 日本の歴史が動くとき熊野が動く。熊野が動くとき日本が動く。承久の乱、鎌倉時代末期の熊野水軍による反幕府一斉蜂起、南北朝の動乱。日本が動くとき熊野が動いてます。
 そして今こそ熊野が動き、日本が動くときです。

 日本が再生するには、人々の価値観の転換が必要です。熊野が動き、人々の価値観の転換を促す。熊野が日本の未来をよくしていくきっかけの場所になる。
 WWFが提案したマグロ資源の持続可能な利用を求める署名に2014年1月現在日本企業として唯一賛同しているのが熊野勝浦の水産加工業者ですが、これも人々の価値観の転換を促す熊野の取り組みのひとつです。このような日本の未来をよくするための取り組みを熊野の人たちが行っていくこと。

 

 熊野が過去において日本にとって特別な場所であったことを知らしめることと同時に、いま熊野が日本の再生に大きな役割を果たすことこそが熊野の観光振興のためには必要なことだと考えます。

てつ

2014.2.4 UP

 

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