「第4回 哲夫の部屋」のために用意した原稿
2014年6月15日(日)午後6時半から道の駅 奥熊野古道ほんぐうにて開催したトークイベント「第4回 哲夫の部屋」。
熊野地方の光るキノコ研究の第一人者である大槻国彦さんをゲストにお迎えして 「光るキノコ シイノトモシビタケの神秘」を題して対談させていただきました。
大槻さんがご用意くださったプレゼン資料と、私が用意したトーク原稿をご紹介させていただきます。
大槻さんのプレゼン資料
1.タイトル
神奈川出身で和歌山県庁に入り林務課とか林業試験場などで勤務。キノコは趣味で発生地を探していたが、途中から生態調査などを仕事に取り入れた。八丈島に調査に行き、アメリカの学会で発表をした。その成果をもとに、環境省の宇久井ビジターセンターで2006年の設立以来、光るきのこ観察会を実施しており、例年100~200名が参加している。2007年に退職してからは自分もボランティアガイドをしている。
2.発見と命名
長らく八丈島特産と言われていたが、50年後に和歌山でも発見された。その後紀南各地、全国の数県で発見された。昨年、大竹(てつ@み熊野ねっと)氏が南方熊楠顕彰館で、熊楠が記録した発光きのこの図を紹介された。熊楠が那智山で光るきのこを見たことは知られているが、きのこの種類など詳しいことは知られていなかった。図を見ると、シイノトモシビタケのように見えるのだが、最後にみなさんに見て判定してもらいたい。
3.発生地
沿岸部の天然林のうちスダジイの大木が生育しているような老齢林(極相林)に発生する。紀南地域にはそういう林が神社の社叢として点々と残されているので、このキノコの分布も同様になっている。宇久井の目覚山では300~400個のきのこを見られるときもある。自分の知る限り最もたくさん観察できる場所。
調査を行ったが本菌を確認できなかった場所として,田辺市稲荷町の高山寺,同市中万呂の須佐神社,西牟婁郡白浜町の日神社,飛鳥神社,同郡上富田町の春日神社,同郡日置川町の日の出神社,春日神社,同郡串本町の八幡神社,住吉神社,新宮市の神倉神社,三重県熊野市の九木崎,東牟婁郡本宮町三越の発心門王子などがあった。
4.林内
スダジイ大木の大きな枝が落ちている。
5-6.発光の色と本来の色
昼間みると茶色の地味なきのこ。傘中央部がやや濃い色になったり、一部が緑かがったりすることもある。傘にしわ状の条線があるのと、ヒダと傘の縁に縁取りがあるのも特徴。傘は「中高」といって真ん中がややとがる三角錐に近い形になることが多い。
7-10.Masaさんの写真
きれいな写真で、形態の特徴を観察してほしい。早朝や夕方などにとると、薄明りで周囲の風景も写すことができる。Masaさんの写真1
11.発生場所
なぜかわからないが、ほとんど、スダジイ大木の腐ったところに生える。スダジイは海沿いと一部の山奥に多いシイの木で、実が大きくて大木になる。ボロボロに腐った材から出る。土に還る寸前のものや、幹のウロからでるものもよくある。
ホルトノキ、ヤマザクラ、細めのスダジイの木から生えることもある。
12.きのこの生態系
ボロボロに腐った材からしかでないということは、別なきのこの食べ残しを食べていると考えられる。また木材中の昆虫のフンや、それが発酵したものが関係するかもしれない。ツヤウチワタケモドキはスダジイの新しい材に発生する。クヌギタケの仲間の光らないきのこも樹皮に近い部分に出たりする。
13.発光の意味
夜行性の虫をおびき寄せて傘を食べさせ、フンとともに胞子をばらまくという説もあるが不明。虫によく食べられるのは確かだが、昼行性の虫が多く食べてるかもしれないし。
14-15.和歌山県の他の発光きのこ
那智山で2004年8月7日に県の調査で那智山に入ったとき、同行した写真家の楠本こうじさんがスズメタケを発見した。
(田辺市の神島で?)アミヒカリタケが見つかっている。
傘径1-3ミリ程度と小さいが、スダジイの落葉にはえるものがある。落ち葉や小枝に蔓延した菌糸だけ光るきのこもある。
スダジイの落下花序に生える傘径1mmかそれ以下くらいの弱い発光きのこがある。
ブナ林のツキヨタケもいれて、和歌山県で6種類くらいの光るきのこがある。
16-17.白色の個体
別種ではないですが、白色の突然変異のような個体も稀に出てきます。
18-20.人工栽培
試験場の仕事で人工的な発生に取り組みました。ビニールかけは、逆に乾燥して失敗。原木への自然感染は成果なし。一回だけ、おが粉栽培できのこ発生に成功しました。学会出張中に出たので、乾燥して傘は開きませんでしたが、発光は確認できました。
21.光る部位
傘の表皮以外が光っているようです。軸の下のほうは光が弱い。菌糸はすくなくとも肉眼で見えるレベルの発光はしません。
22-25.再びマサさんの写真をご覧ください。
スライド終了後、熊楠の図を提示
○きのこの種類
ヒダの縁取りこそ記載がないが、中高の傘や濃色の中央部など、形態的特徴はかなり一致する。アミヒカリタケは傘の中央が突出しない。ヤコウタケは接地部が吸盤状になる。
○信憑性
幽霊や妖怪に憑かれたりした話もあるので、光るキノコのことも真剣に取り上げられなかったのだろうか。現在、シイノトモシビタケが学問的に記載され、那智山でも見つかっているから、この図の存在と合わせれば、熊楠がシイノトモシビタケを発見していた可能性はかなり高いと思う。
○自然保護の必要性
スダジイの大木が林立する夜の森でシイノトモシビタケを見ると、底知れない自然の神秘を感じる。今後も新しいきのこ、生物、生態系の仕組みがわかってくるかもしれない。原生的な自然は、まだまだ人間にとって未知の源泉である。
○これから
神のすまう森として残したからこそ発見できた。また、大島などでは神社以外でも発生している。今のスダジイはいつか枯れキノコが腐らせて土に還る。何百年も後にこのキノコを見られるかどうかは今の我々の行動にかかっていて、将来にもこのキノコを見たいのなら、その時までにスダジイが大木に育つよう、守るべき森は今後も守っていく必要がある。熊楠の残した図を見て、その思いをくみ取りたい。
○宇久井海と森の自然塾観察会
ビジターセンターでは2006年から観察会を実施している。5月中旬から梅雨明けまでと、発生状況により9月の土日、午後7時30分から
以上が大槻さんのプレゼン資料。
光るキノコ、シイノトモシビタケ観察会のお申し込み・お問い合わせはこちらから(宇久井海と森の自然塾運営協議会)
てつのトーク原稿
こんばんは。
本日は徹子の部屋ならぬ哲夫の部屋にようこそお越しくださいました。
ありがとうございます。
私が「み熊野ねっと」のてつ、こと大竹哲夫です。
熊野の魅力を発信している「み熊野ねっと」というHPを運営しております。よろしくお願いいたします。
いま熊野地方は光るキノコのシーズンですので、この時期に最もふさわしいゲストをということで、本日のゲストは熊野地方の光るキノコ研究の第一人者の大槻国彦さんをお招きしました。本日はよろしくお願いいたします。
いつもそうですが、今回もインターネットでライブ配信しています。今回のトークイベントは、キノコの研究者の間で、大槻さんがトークイベントに出演するということで話題になっているようなので、キノコ好きの方がライブ配信を見てくれていると思います。
それではまず自己紹介からいきましょうか。大槻さん、お願いいたします。
私の方ももう少し自己紹介させていただきますと、私は「み熊野ねっと」の他に、南方熊楠のHPも運営していまして。こちらがそのHPですが、熊楠は熊野が誇る偉人で、田辺で後半生を過ごしました。今から100年ほど前にエコロジーという言葉を使って自然保護運動を行った人物です。柳田国男とともに日本の民俗学の創始者でもあります。
それから『ネイチャー』というイギリスの科学雑誌に掲載された論文の本数は50篇。これは一研究者の論文掲載数としては歴代最多です。日本人最多とかのレベルではなく世界最多です。熊楠は江戸時代生まれの人です。明治になる前年、慶応3年に生まれました。江戸時代生まれの人が『ネイチャー』掲載論文数歴代最多記録を保持しているのです。
このHPでは熊楠の文章を、古い文体なので今の人には読みにくいので、今の若い人にも読めるように口語訳して公開しています。これは東京帝国大学の松村任三という植物学の教授に宛てた手紙の口語訳のページですが、これは那智の山中のことを書いた文章なのですが、その中に「秋になれば帽菌がおびただしく生じ、夜光るものもある」とあります。
この手紙は柳田国男の手により「南方二書」というタイトルの小冊子にされ、熊楠のエコロジー思想を知る上で重要な手紙なので多くの人に読まれています。
ですので、熊楠が光るキノコを見ていることは知られています。これから大槻さんの話の中で熊楠のことが出てくるので、説明させていただきました。
それでは大槻さん、よろしくお願いいたします。
その光るキノコの図について少し。
田辺に南方熊楠の功績を広く世に伝えようという南方熊楠顕彰会という会がありまして、私はその委員をさせていただいていて、熊楠グッズの制作などに関わらせていただいています。このTシャツもそうです。私がプロデュースして作りました。
これは熊楠顕彰館所蔵の熊楠直筆の絵や文字を使用してデザインしているのですが、いい絵が欲しくて、顕彰館の収蔵庫のなかの資料を見せていただきました。
そのときに顕彰館の方が、こんなのがあるよと、光るキノコの図を見せてくださいました。
今回、南方熊楠顕彰館に許可をいただきましたので、後ほどお見せいたします。
「夜光菌ノ図」とあります。明治36年東牟婁郡那智村、市野々ですかね。ここらは何と書いてあるかわかりません。
南方熊楠、筆ですかね。
明治36年というのは1903年。1903年に熊楠はこの光るキノコを採集している。
これを見たときに、これってシイノトモシビタケじゃないのと思いました。素人なので、わかりませんが、似ているよね、と。
それで大槻さんにメールで画像を送って見ていただきました。
シイノトモシビタケが発見されたのが東京の八丈島で1951年。これがシイノトモシビタケであれば、その48年前に熊楠が那智で採集していることになります。
目覚山にこれほどシイノトモシビタケが生えるのは、その森が神社の森として守られてきたから。今後も守って未来へと残していかなければならないと思います。
以上が私の原稿。
シイノトモシビタケ観察オフ会の模様(2010年)
シイノトモシビタケ観察オフ会の模様(2011年)
光るキノコ、シイノトモシビタケ観察会のお申し込み・お問い合わせはこちらから(宇久井海と森の自然塾運営協議会)
(てつ)
2014.6.17 UP
2020.2.15 更新