清順上人(せいじゅん しょうにん) 三重県熊野市出身
伊勢神宮の式年遷宮の復興に尽力した尼僧
清順上人は戦国時代の熊野出身の尼僧。
生年不詳、永禄9年4月3日(1566年4月22日)没。
伊勢国にあった臨済宗の尼寺・慶光院の3世住持。
120年余りにわたって中断されていた伊勢神宮の式年遷宮の復興に尽力し、諸国行脚をして勧進を行って寄進を受け、永禄6年(1563年)に外宮(豊受大神宮)の遷宮を129年ぶりに実現しました。
その3年後に清順上人は亡くなり、内宮(皇大神宮)の遷宮は叶いませんでしたが、その意志は慶光院4世住持の周養が引き継ぎ、 外宮遷宮の22年後の天正13年(1585年)に内宮と外宮の同時遷宮を実現しました。内宮の遷宮は123年ぶりのことでした。
現・三重県県熊野市紀和町に清順上人の生誕の地とされる場所があります。
一説に近江国の近江源氏・山本義里の血族出身とも言われるが、『慶光院旧記』には紀州出身との記述があり、現在の三重県熊野市紀和町に「奥氏の娘・多岐姫が出家して清順と名乗った」との言い伝えがあるという。また『壬生家文書』の「永禄六年外宮正遷宮御神宝目録」にも清順が紀伊国出身との記述があることから、紀伊熊野出身である可能性が高いとされる。
師である慶光院2世・宝山智珪は天文15年(1546年)に熊野で没したと伝わっている。翌天文16年(1547年)に清順に対して上人号を許す旨の後奈良天皇からの綸旨が残っているが、この宛先が紀伊国となっており、この当時はまだ紀州に居たと考えられる。
清順上人生誕の地へ
(てつ)
2023.5.16 UP
2023.5.19 更新