熊野古道(熊野参詣道)おすすめコース
(中辺路沿いの宿泊施設) (小辺路[果無峠越え]沿いの宿泊施設) (大辺路[白浜~那智]沿いの宿泊施設) |
■プチ熊野古道歩き(3時間くらいまでのコース) ■ 熊野本宮へ
■ 湯の峰温泉へ
■ 那智へ (1時間コース) (2005.12 UP) (2時間15分コース) (2005.10 UP) ■ その他
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世界遺産となった熊野古道(熊野参詣道)
2004年7月に世界で2例目の「道」の世界遺産となった「熊野古道」。
人類の遺産、世界の宝となった道。
熊野古道は自然遺産ではなく文化遺産です。文化的な面が評価されているのです。
ですので、熊野古道を歩く前に、熊野がどういう場所であったのか、熊野古道がどういう道であったのか、をまず知っていただきたいなあと思います。
何の知識もなければ世界の宝となった道も、何ということもない単なる山道です。熊野古道のことを知っているのと知らないのとでは、得られる感動がまったく違うと思います。
熊野とは
本宮(ほんぐう)・新宮(しんぐう)・那智(なち)の熊野三山(くまのさんざん)が鎮座する熊野(くまの)。
熊野とは、かつての紀伊国牟婁(むろ)郡のことで、紀伊半島南部の地域をいいます。
紀伊国牟婁郡というと、和歌山県というイメージがあるかもしれませんが、和歌山県のうちに納まるものではなく、三重県にも及んでいました。紀伊国牟婁郡は古くは熊野国としてあり、孝徳天皇(596~654)のときに紀伊国に牟婁郡として編入されたとの説もあり、面積的にはそれだけでひとつの県となってもおかしくないほどに広かったのです。
紀伊国牟婁郡は、明治になって、近畿最長の河川である熊野川を境に二つの県に分けられ、熊野川以西は現在の和歌山県に、熊野川以東は現在の三重県に属することになりました。
ですから、熊野とはだいたい現在の和歌山県の東牟婁郡・西牟婁郡と三重県の南牟婁郡・北牟婁郡の辺りということになります。
「熊野」という地名が何を意味していたのか、その語源ははっきりとはわかっていません。様々な説があります。
・「クマ」は古語で「カミ」を意味し、「神のいます所」の意とする説
・「クマ」は「こもる」の意で、「樹木が鬱蒼と隠りなす所」の意とする説
・「クマ」は「こもる」の意で、「神が隠る所」の意とする説
・「クマ」は「こもる」の意で、「死者の霊魂が隠る所」の意とする説
・「クマ」は「隅(くま=すみ)」の意で、都から見て「辺境の地」の意とする説
・「クマ」を「影」の意とする説
・「クマ」を「曲(くま)」の意とする説
どの説を取るにしろ、熊野には開けた明るいイメージはありません。木々が鬱蒼と茂る、陽のあまり当たらない未開の地というイメージ。
熊野三山とは
熊野三山とは、紀伊半島南部、熊野にある、本宮・新宮・那智の3つの聖地をまとめていう場合の総称です。
本宮とは熊野本宮大社のことで、和歌山県東牟婁郡本宮町に鎮座し、主神は家都美御子大神(けつみみこのおおかみ。家都御子大神とも)。
新宮は熊野速玉大社。和歌山県新宮市に鎮座し、主神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)。
那智は熊野那智大社。和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に鎮座し、主神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ。熊野結大神とも)。
本宮はもともとは熊野川・音無川・岩田川の三つの川の合流点にある中洲に鎮座していました。明治22年(1889年)の大水害により被害を受けて近くの高台に遷座。現在に到ります。
新宮は熊野川の河口付近に鎮座しています。その起源を新宮から1~2kmほど南に位置する神倉山(かみくらやま)のゴトビキ岩に求める説もあり、そうだとしたら、新宮もはるか昔のことではありますが、遷座しているということになります。
那智は現在、那智山中腹の高台にあります。しかし、古くは那智の滝の滝つぼ付近にあったであろうことは容易に想像でき、仁徳天皇五年(317年)に現在地に遷座されたとの説も伝えられています。
熊野古道とは
熊野古道とは、熊野と各地を結ぶ熊野詣の道の総称です。「熊野道」「熊野街道」「熊野参詣道」などとも呼ばれます。
熊野詣の道にはいくつかのルートがありますが、そのなかで大阪と熊野を結ぶ紀伊路(きいじ。紀路(きじ)とも)、伊勢と熊野を結ぶ伊勢路(いせじ)の二つの道が古くはポピュラーなルートであったようです。
後白河上皇撰述の歌謡集『梁塵秘抄』に載せられている今様(いまよう。当時の流行歌)に次のようなものがあります。
熊野へ参るには
紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し
広大慈悲の道なれば
紀路も伊勢路も遠からず
紀伊路と伊勢路の他に、高野山から南下して伯母子岳や果無(はてなし)山脈を越えて本宮に至る小辺路(こへち。果無街道ともいう)や吉野から大峰山脈を縦走する行者道を行く大峰奥駈け道があり、吉野から北山川の河谷を南下する北山街道、五条から天辻峠を越えて十津川を下る十津川街道というルートなどもありました。
さて、「広大慈悲の道なれば紀路も伊勢路も遠からず」と歌われた紀伊路と伊勢路ですが、平安時代の末から、上皇・女院・貴族、あるいは武士たちが熊野を詣でるのに紀伊路の中辺路(なかへち。紀伊路は熊野の玄関口・田辺で二つに別れます。海岸をたどる大辺路(おおへち)と、山中を東に分け入る中辺路です)を利用するようになり、紀伊路の中辺路が熊野詣の公式ルートとなりました。
熊野詣とは
熊野詣(くまのもうで)とは、紀伊半島南部、熊野にある、本宮・新宮・那智の熊野三山を参詣することです。
院政期の度重なる熊野御幸(くまのごこう)をきっかけとして熊野は日本国中の人々に知られるようになり、上下貴賤男女を問わず大勢の人々が訪れるようになりました。
「蟻の熊野詣」と、蟻が餌と巣の間を行列を作って行き来する様にたとえられるほどに、大勢の人々が列をなして熊野を詣でました。
平安時代後期以降の浄土信仰の広がりのもと、本宮の主神の家都美御子神は阿弥陀如来、新宮の速玉神は薬師如来、那智の牟須美神は千手観音を本地(本体)とするとされ、本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落(ふだらく)浄土の地であると考えられ、熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。
中世、人々は生きながら浄土に生まれ変わることを目指して、熊野詣の道を歩いたのでした。
熊野古道を歩く際の注意点
・世界遺産の保全にご協力を。
熊野古道は世界遺産、かけがえのない人類の遺産です。
そのことを頭に入れて行動してください。ゴミを捨てたり、動植物を採取したりはしないでください。
・歩きやすい服装で。長袖・長ズボン・帽子着用が基本。
肌を出していると虫に喰われます。
白っぽい明るめの色の服の方がよいです。黒っぽい色だと虫が寄って来ます。
・靴は滑りにくく歩きやすいものを。
パンプスやスニーカーでは滑って危ないです。何kmも人家のない所を歩くのですから、足をくじいたり、転んでどこか怪我をしたりしたら大変な目に会います。トレッキングシューズなど滑りにくく歩きやすい靴をお履きください。
・地図を携行。
中辺路(滝尻~本宮)であれば500mおきに道標がありますが、 それでも見失うこともあり、ときおり道に迷われる方がいます。 地図があればまず迷うことはないので、地図を携行してください。
熊野古道の地図は観光案内所のような所や旅館・民宿などで入手することができると思いますが、最近は熊野古道のガイドブックも多数出版されていますので、それらのガイドブックを購入して前もって計画を立ててからこちらにお越しになられることをお勧めします。
・雨具の用意を。
濡れたら寒いです。天気の怪しいときは雨合羽をご用意ください。
熊野古道コースタイム
・中辺路(滝尻~本宮)(約40km;1泊2日コース)
・大雲取越・小雲取越(那智~本宮)(約33km;1泊2日コース)
・プチ熊野古道歩き(3時間までのコース)
熊野古道はできれば上に載せたような行程でじっくりと歩いていただきたいのですが、日程や体力的な理由で長い距離を歩けない場合は、ごく一部だけを歩くという方法もあります。ここでは3時間までのコースをご案内します。
・中辺路(三軒茶屋~本宮)(約3.7km;約1時間10分コース)
・中辺路(伏拝王子~本宮)(約4km;約1時間10分コース)
・赤木越(発心門王子~湯の峰温泉)(約7km;約2時間40分コース)
・大日越(本宮~湯の峰温泉)(約3km;約1時間20分コース)
・中辺路(那智駅~那智大社)(約7km;約2時間15分コース)
これらの他にもバスやタクシーを利用すれば様々なコースプランが考えられると思います。ガイドブックなどを参考にじっくりと考えてプランを立ててくださいませ。
なお、所要時間には休憩時間・見学時間・参拝時間などは含んでおりませんので、その点はご注意ください。
(てつ)
2005.11.10 UP
2020.2.20 更新
参考文献
- 観光案内所などに置かれている熊野古道のガイドマップ
- 宇江敏勝監修『熊野古道を歩く (歩く旅シリーズ)』山と渓谷社
本宮大社前バス停へ
アクセス:
・JR新宮駅からバスで約1時間15分、本宮大社前バス停下車
・JR紀伊田辺駅からバスで約2時間、本宮大社前バス停下車
駐車場:無料駐車場あり
※本宮大社前から発心門王子までは発心門王子行きの龍神バス(1日7便)で約20分、終点下車