万事、田舎を枯らし、市都を肥やす風、学問にまで行なわるるを見、大いにこれを忌む
かつ小生、従来、一にも二にも官とか政府とかいうて、万事官もたれで、東京のみに書庫や博物館ありて、地方には何にもなきのみならず、中央に集権して田舎ものをおどかさんと、万事、田舎を枯らし、市都を肥やす風、学問にまで行なわるるを見、大いにこれを忌む。
ー 土宜法竜宛書簡、明治27年(1894年)3月2日付『南方熊楠全集』7巻
南方熊楠は日本の中央集権的な学問のあり方に反感を覚えていました。
図書館や博物館は東京にだけ。田舎を貧しくして都市を豊かにする中央集権的なやり方が学問にまで行われるのを見るのはとても嫌なことだ。
熊楠は学問における中央集権主義や都市中心主義を嫌っていました。
また、学問のことだけでなく、日本が中央集権国家であることも嫌だったのかもしれません。
後半生をずっと熊野で過ごした熊楠ですから、地方に多様な文化があり、地方に暮らしていても人々が豊かさを実感できる社会を作ることを国は目指すべきだと熊楠は考えていたのではないか、と私は思います。
(てつ)
2024.5.18 UP
参考文献
- 『南方熊楠全集』7巻
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