KUMAGUSU MINAKATA Mount Nachi, Kii, Japan
KUMAGUSU MINAKATA Tanabe, Kii, Japan
南方熊楠は熊野に足を踏み入れて以降、 英文論考の署名には”KUMAGUSU MINAKATA”の後に、那智時代には”Mount Nachi, Kii, Japan”、田辺に居を移してからは”Tanabe, Kii, Japan”と記しました。
熊楠の知性にとって自分が暮らしている熊野という場所はとても大きな意味を持っていました。
「南方曼陀羅」はおそらくロンドンの大英博物館のなかでは生み出されず、那智の山中だからこそ生み出すことができたのであろうと思われます。
「南方曼陀羅」は、ロンドン時代に知り合った真言僧・土宜法龍と交わされた書簡のなかで展開され、その深みを増していった、熊楠が夢見た未来の学問です。仏教の思想をもとに西洋の科学を内包する、より大きな学問を確立しようと熊楠は那智の山中で模索しました。
また、神社合祀反対運動のなかで生み出された、自然のみならず人間の社会や心にまで展開するエコロジー思想も、熊楠が田辺に住んでいたからこそ形になったものだと思われます。
熊楠にとって那智や田辺は特別な場所でした。
熊野にとって熊楠は大恩人ですが、熊楠にとっても熊野という場所は自分の学問を育て上げてくれた大恩人のような存在であるのだと思います。
(てつ)
2024.9.1 UP
参考文献
- 『南方熊楠英文論考[ネイチャー]誌篇』集英社
- 『南方熊楠英文論考[ノーツ アンド クエリーズ]誌篇』集英社
- 『南方熊楠全集』7巻、平凡社
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