社殿なき古社、これ上古の正式なり
大和の三輪明神始め熊野辺に、古来老樹大木のみありて社殿なき古社多かりし。これ上古の正式なり。
ー 神社合祀に関する意見(原稿)『南方熊楠全集』7巻
熊野地方にはかつて、老樹大木だけがあって社殿のない神社が多くありました。
本殿や拝殿はなく、森そのものを神社とするという無社殿神社が大昔の神社の正式な形だと熊楠は考えていました。
社殿がなく森そのものを神社とする無社殿神社を熊野地方では「神森」と呼びました。
しかしながら、現在、熊野地方に現存する無社殿神社はごくわずかです。国が推し進めた神社合祀政策のためにその多くが失われてしまいました。
神社合祀政策は神社を減らすために国が明治末から大正にかけて実施した政策です。1町村に1社を原則として町村の複数の神社を1つの神社に統廃合することで神社の数を整理しました。
神社合祀は都道府県知事の権限下で行われたため都道府県により実施状況は異なりましたが、和歌山県では県内の神社のおよそ90%を潰す激烈な合祀が行われました。合祀に抵抗する神社に対しては神社を残したいのならば県が示す条件を満たせと県は氏子たちに迫りました。
和歌山県は神社の残すための条件に、境内の広さや神職の報酬額、基本財産の積立額、年間の収入額などの他、社殿があることも加えました。社殿のない神社はすべて滅却せよというのが和歌山県の方針でした。
しかるに和歌山県のごときは、神職の元締めたる人が、完全なる神社は、正殿、神庫、幣殿、拝殿、着到殿、舞殿、神餐殿、御饌殿、御炊殿、盛殿、斎館、祓殿、祝詞屋、直殿、宿直所、厩屋、権殿、追拝所の十八建築を有するを要すとの謬説を吐き、…
ー 神社合祀に関する意見(原稿)『南方熊楠全集』7巻
和歌山県の神職の元締めの立場にある人が完全な神社には18の建物がなければならないなどと間違った説を言い出す始末でした。和歌山県は県内の大部分の神社を潰すことを目指し、実現しました。
大昔の日本人は森のなかに神と出会う場所を見出しました。神社とは森でした。神社に社殿が建てられるようになったのは仏教の影響であり、国が明治初めから進めた神仏分離政策による神道からの仏教の排除という点からすれば無社殿神社こそが理想の神社であるはずでした。
和歌山県が行った無社殿神社を原則滅却するというのは本来的には神道そのものの破壊です。このような蛮行を和歌山県が行えたのは、国が目指すところも神道の破壊にあったからでしょう。
(てつ)
2025.6.24 UP
2025.6.25 更新
参考文献
- 『南方熊楠全集』7巻、平凡社