南方熊楠と柳田国男、杉村楚人冠が守った紀伊半島最太の木
御浜町引作にある引作神社のご神木の楠の巨木、引作の大楠。
引作の大楠の幹周りはなんと15.7m。感動的なまでに太いです。熊野はもちろん紀伊半島でも最大の太さ。
引作の大楠は三重県の天然記念物に指定され、新日本名木百選にも選定されています。
引作の大楠の樹高は約35m。枝張り四方は40m。推定樹齢は1500年。
それがまだまだ元気に青々と葉を茂らせています。
このような楠の巨木のある引作神社ですが、『紀伊続風土記』の引作村の項には神社については「小祠一社」とあるのみ。この小祠とあるのが引作神社だと思われますが、大楠についての記述がないのは『紀伊続風土記』の編纂者たちがこの地を調査に訪れなかったということなのかもしれません。あるいは、かつては神社の森ならばこれくらいの巨木が生えているのが当然のことであったからなのかもしれません。
伐採の危機
引作神社には大楠の他に7本の杉の大木が生えていましたが、明治の末期に合祀廃社となり、神社跡地の森の木々も伐採されることとなりました。杉の大木はすでにすべて伐採され、いよいよ大楠も伐採となったときに熊野の地方新聞『牟婁新報』の新宮支局員が記事にして伐採中止を訴えました。短い文章なので全文引用します。
希世の大樟樹△南郡無二の歴史樹近く伐採されんとす▽
三重県南牟婁郡阿田和村大字引作神社境内の老樟樹は、周囲九尋余、枝幹数丁に広がり、巍然として一山を形成するの概あり、鬱然として四辺を圧し、その壮大天下無比の称あり。
少くとも一千年以上の老樹なりと称せられ、樹根部のホラ穴の如き直径二間余あり、南郡に於ける絶好の天然記念物にして、行人の常に驚嘆し景仰して過ぐる所たり、しかるに神社濫併に付いては、我が和歌山県と共に全国に冠たる三重県の地に生存せる悲しさは、神社は例に漏れず他に濫合され、しかしてこの大老樟樹は哀れ神社基本財産蓄積の好名目の下に、タッタ三千余円の目腐れ金に替えられ、近く無惨にも伐採の厄に罹り、永くその跡を絶つ運命にあり。
記者は同村の有力者某々に面会し、該樟樹伐採の断じて不可なる所以を述べ、ぜひとも伐採を中止するよう語りたるも、彼れ等は「今となりては如何ともなし難し、されど余り見事なる大樹故、根元の所を平面に切りこれを保存せんと思考中なるも、何分周囲四丈五尺余のものなれば、その保存場所無く、学校も寺院もこれを容るる能はず、目下種々攻究中なりと答ふるのみ。
嗚呼、このままにあらばあるべき紀伊の歴史樹をかかる心なの人々に依りて斧鉞の厄を見んとす。痛恨何ぞ勝らん。天下の志士よ、願くは、起ってこの大樟樹保護に尽くされよ、時は今なり。(新宮市局員急報)
(『牟婁新報』明治44年6月27日付)
この新宮支局員の記事で大楠が伐採されることを知った南方熊楠は、民俗学者で高級官僚であった柳田国男に至急便の手紙を出し、伐採の中止を働きかけるよう要請しました。『東京朝日新聞』の記者であった杉村楚人冠にも応援を求めました。
柳田は三重県知事に書簡を出して伐採を中止するよう働きかけ、杉村は『東京朝日新聞』に記事を掲載して広く伐採中止を訴えました。
柳田國男は熊楠とともに日本の民俗学を創始した人物。内務省(明治から戦前にかけて対民衆行政一般を所管し、絶大な権力を誇った中央官庁)の官僚でもありました。柳田は熊楠のことを「日本民俗学最大の恩人」と述べ、さらには「日本人の可能性の極限かとも思い、また時としてはさらにそれよりもなお一つ向うかと思うことさえある」とも評しました。
杉村楚人冠はのちに朝日新聞社の副社長、監査役、相談役を務めることとなる人物。本名は杉村広太郎。和歌山市出身で熊楠より五歳年下。熊楠が病のために東京大学予備門を退学して和歌山に戻ったときから親しくなり、熊楠が海外に出てからも書簡で交流を続けました。
熊楠と2人の協力者のおかげで大楠は危ういところで守ることができました。
引作の大楠のことを詠んだ熊楠の和歌
熊楠が柳田に送った和歌
音にきく熊野樟日の大神も柳の蔭を頼むばかりぞ
熊野の楠の大神も柳の影に頼るばかりだ。あなただけが頼りです。
熊楠とともに日本の民俗学を創始した柳田国男は、国内行政に関して絶大な権限を持つ内務省の官僚でもありました。
熊楠が杉村に送った和歌
木の路なる熊野樟日の大神も偏に頼む杉村の蔭
紀伊にある熊野の楠の大神もただただひとえに杉村を頼りにしています。
杉村楚人冠はのちに朝日新聞社の副社長、監査役、相談役を務めることとなる人物です。本名は杉村広太郎。和歌山市出身で熊楠より5歳年下。熊楠が病のために東京大学予備門を退学して和歌山に戻ったときから親しくなり、熊楠が海外に出てからも書簡で交流を続けました。
熊楠が大楠の保存が決まってから詠んだ和歌
三熊野の山に生ふてふ大楠も芸妓の蔭で末栄枝けり
熊楠という名前の意味するところは「熊野の楠」。
特定の社会集団や個人が特定の動植物と特別なつながりがあるとする信仰をトーテミズムといいますが、熊楠はその名前の通り「熊野の楠」に特別なつながりを感じていました。
たった1本の大楠でしたが、ほとんど伐採寸前まで追いつめられていた状況のなかで守ることができたことは、熊楠にとって大きな喜びであったことでしょう。
主枝の1本が折れる
引作の大楠は2007年9月29日に主枝の1本が折れてしまったのですが、枝が折れた後の様子はこちら。
動画
動画を作りました。2分少々の動画です。ぜひご覧ください。2019年6月撮影。
(てつ)
2003.6.23 UP
2009.8.21 更新
2010.4. 6更新
2020.4.9 更新
2021.7.26 更新
2021.7.29 更新
2021.8.1 更新
参考文献
引作神社へ
アクセス:JR阿田和駅から車で約10分
駐車場:駐車スペースあり