もと弁財天社、社殿の背後に岩
熊野川町九重の峰という地区にある厳島神社。
鳥居前にある説明板には「江戸時代の文書には『弁財天社』と記されています」とあります。
弁財天は仏教の守護神である天部のひとつ。もともとインドの川の神様なので、弁財天は水のある場所に祀られることが多いのですが、なぜここに弁財天社が祀られるのでしょうか。
弁財天は日本の水の神様である市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)と神仏習合して同一視されたので、市杵嶋姫命といえば平家が崇敬した厳島神社ということで、九重には平家の落人伝説があり、平家の落人が神社の創建に関係するのかもしれません。
明治の神仏分離で厳島神社に社名を変更しました。
神仏分離後の厳島神社のご祭神は「明治三年 社寺調書 九重村 玉置口村 組合役場」によると、多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)・ 市寸嶋比売命・ 多岐都比売命(タギツヒメノミコト)。
鳥居近くにあるイチイガシが立派です。
社殿の前にもイチイガシの大木が。社殿の後にも生えています。
社殿の前に生えるイチイガシの根元には丸石が供えられています。
社殿の向かって右手には川原石が敷き詰められた場所があります。
社殿の背後には岩。
もとは岩を御神体とする神社だったのかもしれません。
和歌山県最大級のタブノキ。胸高周囲約5m。
厳島神社近くからの眺め。
C坊さんからの情報。
厳島神社は、元は九重の対岸の百夜月の北山川のそばにあったのではないかという説があります。跡地も残っており、そうであれば「弁財天」の名称も合点がいきますでしょうか。
この神社の創建は1732年らしいんですが、平家ゆかりとすれば新しすぎるんですよね。元は対岸にあって1700年ころ、ここに遷座されたと考えれば、これも合点がいくのであります。
それならば弁財天社というのも納得です。
(てつ)
2013.7.14 UP
2013.7.16 更新
2016.2.5 更新
2021.4.17 更新
参考文献
- 『熊野川町史 史料編2』
九重の厳島神社へ
アクセス:JR新宮駅から車で約40分
駐車場:駐車スペースあり