■ 熊野の観光名所 |
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◆ 南方熊楠邸 その2(みなかたくまぐすてい) 和歌山県田辺市中屋敷36番地 |
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世界的博物学者、南方熊楠の旧邸 南方熊楠が1916年(大正5年)以降1941年(昭和16年)に永眠するまで終の住まいとした邸が現在も田辺市中屋敷町に保存されています。 現在の南方熊楠邸には、貸家2軒はなく、代わりに熊楠没後に建てられた2階建ての別棟がありますが、母屋と土蔵と書斎は熊楠が利用したものが保存されています。 書斎には熊楠が愛用した机が置かれていました。この机は、高すぎて読書するのに不便だったので手前の2本の足を短く切ったのだそうです。 熊楠はこの書斎で隠花植物(菌類、地衣類、藻類、蘚苔類)や粘菌などの標本を作り、菌類の彩色図を描き、英語で論文などを書き、日本語で書簡などを書きました。 土蔵は2階に分かれていて、1階は書庫として使われ、数万点もの文献や抜書などが中性紙に包まれて収められています。2階は動植物の標本室として使われました。 邸内にはクスノキや安藤みかん、柿、センダンなどの木が生え、庭が熊楠の植物研究の場所であったことが想像されます。 邸を購入した翌年(1917年)には邸内の柿の木から新属新種の粘菌を発見しています。のちにイギリスの粘菌学の権威ガブリエル・リスター女史により「ミナカテルラ・ロンギフィラ」と命名され、発表されました。南方の名を付けられた新属新種の粘菌が発見された柿の木はいまだ健在です(右の写真)。 邸内で最も大きな木はクスノキ。 クスノキの傍には安藤みかんの木が植えられていて、夏みかんのような実を成らせていました(右の写真)。熊楠は安藤みかんの実が成っているときは毎日、搾ってジュースにして飲んでいたそうです。いま生えている安藤みかんの木は熊楠存命時に生えていた木ではなく2代目。熊楠存命時に生えていた数本の安藤みかんは熊楠が亡くなるとその翌年には後を追うようにみなばたばた枯死してしまったそうです。 進講の知らせを受けたときに邸内で花を咲かせていたのはセンダンの木。センダンは別名、樗(オウチ)ともいい、進講の知らせを受けたときの喜びを熊楠は「ありがたき御世に樗(あふち)の花盛り」と詠みました。臨終の床で熊楠は天井いっぱいに咲く紫の花の幻覚を見たそうですが、その紫の花とはセンダンの花であろうといわれています(左の写真中央の葉が目立たない木がセンダン。これも熊楠存命時に生えていた木でなく2代目)。 南方熊楠の著作を読んだことのない方にはぜひ、東京帝国大学農学部教授・白井光太郎に宛てた書簡「神社合祀に関する意見」をお読みになることをお勧めします。 南方熊楠について詳しくは南方熊楠のキャラメル箱へ ◆ 参考文献
(てつ) 2003.5.9 UP
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