人柱を立てた堤防
和歌山県上富田町の富田川右岸、岩田・朝来・生馬の三地区にまたがる辺りの堤防を「彦五郎堤(ひこごろうつつみ)」といいました(近年は彦五郎堤防という)。その由来は下記の通り。
昔、富田川は雨が降ると大水が出る暴れ川で、堤防を壊しては田畑を流し、村人たちを困らせていた。
ある年も大水で堤防が切れて、困り果てた村人たちは話し合って堤防に人柱を立てることとした。
進んで人柱になる者はなかったが、話し合いのなかで彦五郎という男が「この中で着物を横継ぎにしている者がいたら、その者を人柱にしよう」と言った。その場にいる者たちはいっせいに着物を調べてみると、言い出した彦五郎の着物が横継ぎをしていた。
こうして彦五郎は自身を人柱に立てることとなり、堤防に身を埋めた。その後、この堤防は彦五郎堤と呼ばれ、どんな大水にも耐えられるようになったという。
その彦五郎堤も明治22年の大水害には耐えられず、欠壊して大きな被害をもたらしました。今の堤防はその後の復旧工事で造られたものです。
人柱になったのは、彦五郎という1人の男ではなく、彦蔵と五郎という2人の者だったとの伝承もあります。
(てつ)
2010.5.28 UP
2010.7.19 更新
2012.4.23 更新
2020.4.19 更新
参考文献
- くまの文庫3『熊野中辺路 伝説(下)』熊野中辺路刊行会