大塔宮を逃すために立てた卒塔婆
和歌山県田辺市本宮町の静川という集落の土地にソトバと呼ばれる場所がありました。土地の人々は大塔宮護良親王の卒塔婆の跡だといい、盆や正月にはシキミや線香を立てて冥福を祈っていたといいます。
鎌倉幕府に追われ、ごく少数の従者とともに熊野に逃れてきた大塔宮は、この地で住民の奉仕を受けて暮らしていた。しかし、やがて追っ手が迫り、その知らせを受けた住民たちは川の岸辺に卒塔婆を立てて、大塔宮一向をさらに山奥に逃れさせた。追っ手がこの地に来たときには、住民たちは卒塔婆の前で泣き悲しむふりをして追っ手を欺いたという。
ソトバと呼ばれた場所は昭和28年の水害で流されて川原になってしまったそうです。
(てつ)
2010.5.27 UP
2022.7.17 更新
参考文献
- くまの文庫3『熊野中辺路 伝説(下)』熊野中辺路刊行会