熊野の神様に祈って琵琶の第一人者になった話
建長六年(1254)成立の橘成季(たちばなのなりすえ)編著の説話集『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』にこんな話があります(巻第十五 宿執第二十三 四九七)。
法深房父子芸道執心の事
法深房(藤原孝時。孝道の子。孝道は琵琶の名手で、木工権頭として琵琶の製作にも長じていた)は二十歳の年から熊野へ詣でて、「我が芸がもし父の芸に及ばなければ、ただちに命を召しあげてください」と申された。祈請の旨が神慮にかなって、琵琶の道における第一人者となった。
口うるさい性分から言ったのではあるまいが、嫡女(孝道の孫)が七歳の年にあまりに稽古を怠けて走り遊ぶのを懲らしめようと思って、嫡女に稽古用に持たせていた小ぶりの琵琶を取り上げて、「もう怠けることを仕事にして、琵琶など忘れてしまいなさい」と言って、しばらく隠していたのを、幼心にひどく嘆いて、乳母に何かというと悲しみを訴えて謝ったけれども、それでも許さない。
このようなころに母が賀茂へ詣でたが、この少女を連れて行った。下向の後、「ところで賀茂ではどんなことを申し上げたの?」と問われて、「ただ琵琶を弾かせてくださいと申し上げました」と答えた。
この言葉をけなげに思って、勘気を解いて、小琵琶を返し与えたところ、喜んでこのときから心を入れて道をたしなみ、功を積み、その道の第一人者となった。
先祖代々ある技能を習い伝える家柄の人はあわれに不思議なことだ。七歳で道に執心する心があるというのはあわれなことである。
芸道の神様
法深房は琵琶の名手になることを熊野の神様に祈り、その祈りの通りに琵琶の名手となりました。
神様に祈るということは神様と自分との約束です。自分はこういうことを実現します、実現するよう努力しますという神様への誓いです。そのように私は考えています。
(てつ)
2005.8.19 UP
2019.7.16 更新
参考文献
- 日本古典文学大系『古今著聞集』岩波書店
- 西尾光一・小林保治 校注『古今著聞集 下』 新潮日本古典集成
- 『本宮町史 文化財編・古代中世史料編』