闘鶏神社の御由緒譚
闘鶏神社に伝わる「熊野権現秘事の巻」。闘鶏神社の御由緒譚です。
「熊野権現秘事の巻」あらまし
ある日、日が真南にさしかかったとき、急に日の光が7色に輝いた。牟婁野の津(田辺湾)の沖に一条の白波が立ち、猛烈な速さでまっすぐ津の中に突き進んで来た。波頭には小さく光るものが。
加四魔(神島)の島辺りに差しかかると光は急に大きくなり、しばらく留まってから神光となり空に舞い上がった。神光輝く空の下、海面が泡立ち、波が巻きあがり、海面を割って海龍王(神龍)の頭が浮かび上がった。
そのとき、神島近くの神楽島に寄せる波音が神楽を奏し始めた。また近くの旗島には白妙の幣帛が立ち並び、はためいた。神光が北を目指し移動を始めると、天神崎の雲間に天女の一群が舞い始め、神光が浜辺近くの丘に差しかかると、その麓の神子浜村に天女が舞い降り舞楽を奏し始めた。
神光が丘の上から海龍王を招くと、海龍王は燈を捧げて加四魔の沖から進み来た。海龍王が「この地は清浄であります。影向してください」と申し上げると、神光はこの丘に留まり座すこととなった。海龍王もこの丘に仮の住居を営んだ。そこで、この山を海龍王山とか假庵山(かりほやま)と呼んだ。
しばらくして海龍王は、北方に見える山に赴いてその頂上の貝穴に鎮まろうと神光に願い出て、これが許されると海龍王は忽然と姿を消し、大己貴命(おおなむじのみこと)の姿となって現われ、天の羽車に乗り空に舞い上がった。神光は山の麓の秋津野まで雲を起して大己貴命を送った。大己貴命は頂上の貝穴に入ってこの山に鎮まった。そこで、この山を龍仙山と呼び、麓の雲が湧き立った所を雲の叢とか雲の森と呼ぶようになった。
神光は假庵山に還り、この地に鎮座することとなったが、これが熊野坐大神(今の闘鶏神社)である。
(てつ)
2010.6.17 UP
2020.9.8 更新
参考文献
- くまの文庫3『熊野中辺路 伝説(上)』熊野中辺路刊行会