牟婁の沙弥
平安時代初期の薬師寺の僧、景戒(けいかい)が著した日本最古の仏教説話集『日本霊異記』に、牟婁の沙弥(むろのしゃみ)と呼ばれる人物が登場するお話があります(下巻第十)。
牟婁とは熊野地方のことです。紀伊国牟婁郡のことを熊野といいます。沙弥は自度僧(じどそう)。官の許可を得ずに自ら出家して僧となった者のことです:私度僧(しどそう)とも。
熊野の自度僧のお話。
如法に写し奉る法華経が火に焼けぬ縁(現代語訳)
牟婁の沙弥は榎本氏である。自度僧であるため、僧名はない。紀伊国牟婁郡の人であるため、あだ名を牟婁の沙弥と名づける。安諦郡荒田村(※現・和歌山県有田郡実原村)に居住し、ひげや髪を剃り落とし、袈裟を付け、俗人の生活をして家計を立て、世渡りのために生業を営んでいる。
写経する法に従って心身を清浄にして法華経一部を写し奉ろうと発願し、もっぱら自分で書写する。大小便の度ごとに水を浴びて身を清め、書写の座に着いて以来、六か月を経て、清書し終わった。供養の後、漆を塗った皮の箱に入れて、外の所には置かず、居室の軒端に置いて、時々読む。
神護景雲3年(769年)の夏、5月23日の正午に家全体がことごとく焼亡した。ただその経を納めた箱だけが燃えさかる火の中にあってまったく焼け損じた所がない。箱を開けてみると、経の色はいかめしくて、周囲の人はみなこのことを見聞きして不思議に思った。
河東(かとう:黄河の東、魏の地)の修行を積んだ尼が写した法華経の功徳(※『冥報記』に「尼の写した法華経を他の僧が読もうとしたが字が消えていた。しかし、尼が修法して開いたら元のように字があった」という話がある)がここに現われ、陳のときの王与女が経を読んで火難から免れた力(※出典不明)が再び示されたのだということがよくわかった。
誉め讃えていう。
尊いことだ。榎本氏。信を深めて功を積み、法華経を写す。護法神が守って、火の対して霊験を示した。これは不信の人の心を改めるよい話で、邪見の人の悪を止めるすぐれた師である。
(現代語訳終了)
榎本氏
牟婁の沙弥の氏は榎本。
榎本氏といえば熊野三党(熊野の有力者、宇井・鈴木・榎本の三氏)の一党です。
エノキは神が降臨するとされた聖なる木。榎本は聖なるエノキの本という意味で、神職出に多い名字。
(てつ)
2005.8.10 UP
2020.9.8 更新
参考文献
- 原田敏明・高橋貢訳『日本霊異記』 平凡社 東洋文庫 97
- 中田祝夫『日本霊異記(下)全訳注』 講談社学術文庫