与謝野寛、大石誠之助の死を悼む
与謝野寛(与謝野鉄幹)
published by 東洋文化協會 (The Eastern Culture Association) - The Japanese book "幕末・明治・大正 回顧八十年史" (Memories for 80 years, Bakumatsu, Meiji, Taisho), パブリック・ドメイン, リンクによる
近代を代表する歌人で、与謝野晶子(よさの あきこ:1878~1942)の夫である与謝野寛(よさの ひろし:号は鉄幹。1873~1935)。
与謝野寛は、経済的な支援を受けていた新宮の医師、大石誠之助(おおいし せいのすけ、1867~1911)の死を悼んで「誠之助の死」と題した詩を書きました。
大石誠之助は幸徳秋水らが天皇暗殺計画を企てたとして検挙された「大逆事件」で処刑された12人のひとりです。そのような人物の死を悼む詩を発表することは、とても勇気のいることでした。
誠之助の死
大石誠之助は死にました、
いい気味な、
機械に挟まれて死にました
人の名前に誠之助は沢山ある
然し、然し、
わたしの友達の誠之助は唯一人。
わたしはもうその誠之助に逢はれない、
なんの、構ふもんか、
機械に挟まれて死ぬやうな、
馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。
それでも誠之助は死にました、
おお、死にました。
日本人で無かった誠之助、
立派な気ちがひの誠之助、
有ることか、無いことか、
神様を最初に無視した誠之助、
大逆無道な誠之助。
ほんにまあ、皆さん、いい気味な、
その誠之助は死にました。
誠之助と誠之助の一味が死んだので、
忠良な日本人は之から気楽に寝られます。
例えばTOLSTOIが歿んだので
世界に危険が断えたように。
おめでたう。
与謝野寛詩歌集『烏と雨』大正4年(1915)刊
大石誠之助
雨宮栄一 - 『牧師植村正久』、新教出版社、p.245, パブリック・ドメイン, リンクによる
(てつ)
2010.2.22 UP
2019.11.2 更新
参考文献
- みえ熊野学研究会編『熊野の文学と伝承』